元旦礼拝宣教  「イエスの言葉にとどまる」 ヨハネによる福音書8章31-38節

今朝の聖書箇所は、イエスの弟子とはどのような人であるかを明示する。それはイエスの言葉を聞いて、その言葉のうちにとどまる人のこと。主はイエスを信じたというユダヤ人に対して、イエスを信じるとは、彼の言葉を聞くだけではなく、その言葉のうちにとどまる必要があると指摘している。そうすれば、その人たちは、イエスの弟子である、という(31節)。

 私たちは、人が語ることを聞いている。しかし、自分に関心がない言葉であれば、聞き流してしまう。あるいは、聞いていたとしても、自分なりの解釈を加えて、相手の語ることをまともに受け止めようとはしない。そのような場合には、相手との間に生きた関係を築きあげることはできない。イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われる(14:6)。イエスの語る言葉は、私たちの中に命を与える。しかも、一時的なものではなく永遠の命である。そのような命の言葉を聞き流すわけにはいかない。私たちはしっかりと、イエスの言葉を聞き、その言葉の中にとどまっていたい。しかし、イエスの言葉にとどまるとは、どのようなことなのだろうか。イエスは「神からきた者は神の言葉に聞き従う」(47節)と言っている。だから、イエスの言葉にとどまるとは、イエスの語られたことを聞き、さらにその言葉に従うこととなる。

 イエスの言葉が、その言葉を聞く人の中に命をもたらすのは、その人がイエスの語られる言葉を受け止め、文字通り、その言葉に従う時である。イエスは、私たちに、永遠の命に至る言葉を語りかけている。この言葉に聞き従うことによって、私たちの中に、喜びの命がわきあふれてくる。そのためには、私たちのもっている先入観で、イエスの言葉に耳をふさがないことが大切である。次に大切なことは、イエスの語る言葉は、自分の中に確かな命をもたらしてくれるものであると信頼すること。そして、第三にイエスの言われる通りに実行してみること。この三つの段階を経ていくことが、イエスの言葉を聞くというであり、また、その言葉に従うということなのである。

 イエスの言葉に聞き従う人は、イエスの示す真理によって、自由を得ることが約束されている(32節)。しかし、イエスの言葉を聞くだけで、その言葉に従わなかったユダヤ人たちは、イエスの与える真理と自由が何であるかわからなかった。彼らは自分たちがアブラハムの子孫であり、奴隷になったことはないと言って自由を政治的な意味に限定している(33節)。しかしイエスの言う自由は、政治的な意味で奴隷になっている状態から解放するということに限定されてはいない。イエスの言われる自由は精神的な意味での解放(罪からの解放)を意味している。

 イエスは、イエスに聞き従わないことを罪の奴隷であるとも表現している(34節)。罪の奴隷であるとは、イエスの言葉に聞き従うことによって、大きな喜びと、人を愛する心が生み出されることを知らないことなのである。私たちは、イエスの語る言葉に信頼し、さらに、イエスの勧めを実行していきたいと思う。そのことによって、神の働きを担っていくことが、どのように深い喜びをもたらすものであるかを経験できるからである。この喜びを経験しよう。
 

平塚バプテスト教会