祈 り

2017年度の教会の主題は「祈りから祈りへ」。「祈り」がテーマです。そこで祈りについて考えてみました。

  ある本に、「人はなぜ祈るのか」ということを問いにしても意味がないほどに、人間にとって祈りは本質的な事実です、と書かれていました。確かに、人間は太古の昔から、荒れ狂う自然や疫病の猛威におびえ、ひたすら祈りました。考古学で発見された壁画にもその姿が描かれています。科学や医学の発達が多くの不安を克服した現代においても、人は祈ることをやめようとしません。砂漠の中で、雪山の頂で、そして大都会で、あらゆる時代に、あらゆる文化圏で、人は祈り続けています。

  それは、神が人間の心に永遠への思いを植えつけられた(コネレトの言葉3:11)からかもしれません。人間は自らの罪深さ・弱さ・限界を思い知るたびに、本能とも呼べるほど自発的に、神を求めて祈ります。

  クリスチャンにとって、祈りは日常的な営みです。朝起きて祈り、食事を前に祈り、と事あるごとに祈ります。しかし、それは常に学び深めるべき修練でもあります。これほど日常的であり、奥が深い営みは他にはないといっても過言ではありません。私たちにとって、祈りは生ける神とつながる恵みの手段であり、人生の戦いの武器であり、憩いの隠れ家であり、霊的な呼吸です。

  祈りの問いは、常に「なぜ祈るのか」ではなく、「いかにして祈るのか」です。だれに向かって、どのように祈ればよいのか、それが私たちの問いであり、それに対して主イエスは「主の祈り」を教えてくださったのです(マタイ6:9-13)。

  戦後のクリスチャン作家佐古純一郎は『祈る人』の中で、「神を信じるから祈るのではありません。祈るということ、そのことが神を信じるということなのです」と書いています。祈りと信仰は表裏一体です。祈りは霊的な呼吸ですから、祈らないと信仰が死んでしまいます。「信じて祈る」のです。「信じないで祈る」ことはありません。「祈りの霊を注がれた」(ゼカリヤ12:10)私たちは恵みとして感謝して絶えず祈ります。

平塚バプテスト教会

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