「共にあずかる主の晩餐」 コリントの信徒への手紙一11章17-26節

当時のコリントの教会の「主の晩餐」は、日曜日や定められた週日の夕方に、集会場所である信者の家に集まって、持ち寄った食事を共にするという形で守られていたようである。文字どおりの「晩餐」である。

 その晩餐だが、当時はまだ、教会の職制が定まっていたわけでもなく、式文があったわけでもない。主の晩餐の意味も集会の中に根付いていたようにも思えない。だから、かなり自分勝手な仕方で行っていたようだ。そのため、本来の意味をなさない主の晩餐が行われ、それに留まらず、教会に分派争いさえ起こっていたというのである。

 当時のコリントの教会では、「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという」(21節)状態だった。それぞれが勝手に自分が持ってきた食事を飲み食いしていた。分かち合うということがなされてなかったのだ。

 そこで、パウロは主の晩餐について、「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」(23節)と言って、主の晩餐について改めてその意味を教えているのである。

 主の晩餐は、「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き」とあるように、一つのパン(食事)を分かち合って食べることに意味があるのだから、そんなことでは、「一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにはならない」と言うのである(20節)。そして、裕福な者で勝手に食事をする者に対しては、「神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか」と批判している。主にある一致を喜ぶべき主の晩餐が、分裂を引き起こしているのである。さらに、「あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか」(22節)と激しく批判する。主の晩餐は、共に集まって分かち合って食事をすることに意義があるので、食べたり飲んだりしたければ、めいめい自分の家でやればいいではないか、と言っている。

 そして、パウロにとって、主の晩餐の中心は、「主の死」を想い起し、この方が主であることを告げ知らせることである(26節)。パウロの言うこの「死」は、イエス・キリストの十字架の死のこと。主の晩餐は、世間的には屈辱的でしかない僕となって、私たちに仕え、最も弱い無力な犠牲的死をもって、私たちを愛し連帯された方、このキリストが私たちの「主」であることを信仰告白する場である。すなわち、主の晩餐とは、参与する者同士が、社会的な違いや考えの違いなど様々な異質性を超えて、キリストの死を指し示し、互いに連帯し分かち合い、キリストの「体」の肢体として一つであることを示す食事なのである。

 食事の後の杯は「新しい契約」である。主イエスが来られる世の終わりの時に完成する新しい秩序が、杯を飲むごとに確認されるのである。この秩序は、イエス・キリストの十字架の死によって打ち立てられたもの。復活の希望である。

 主イエスが、ご自分の肉と血を犠牲にして「あなたがたのため」に捧げて「新しい契約」を立て、教会をその契約の民としてくださった。その故に私たちはその主イエスの死を「記念」し、思い起こし、感謝と賛美を捧げるのである。そして、主の体と血によってもたらされた神の民の一致を確認するのである。