複眼で見、通念を乗り越えて社会を見る

経済学者の伊東光晴氏(1927年生)が中学生向けに書かれた『君たちの生きる社会』(筑摩書房 1978年)は名著である。この本は、複眼――つまり、いくつもの違った目で、しかも通念(多くの人はそう思っていること)を乗り越えて、社会を見ていくことの大切さを教えてくれる。

 私は、40年前、この本で原子力発電所の「安くて安全」という神話が嘘であることを知った。伊東先生は経済学者らしく、エネルギー量と効率の計算を示しながら、こう結論される。「原子力発電所ほど大飯食らい、つまりたくさんの石油やエネルギーを消費するものはないのです。しかもそれは、多くの人が言うように、発電したあとで出てくる燃えかすが、五百年間にわたって有害な放射能をもつ物質であり、これを封じ込めておくためには、大変なお金と手間とがかかり、今の技術では、それをどうしていいかよく分からないのです。大飯食らいの大ぐそたれと原子力発電所が言われるゆえんです」と40年前にすでに喝破しておられる。

 次の話も興味深い。雷が電気であることを証明したベンジャミン・フランクリンはストーブの発明者でもあるが、彼は特許をとらなかった。それは多くの人が少しでも安く利用できるようにと願ったからだ、という。一方、有名なノーベルはダイナマイトを発明したが、特許をとり、それをもとに工場を作り、会社を経営した。それだけでなく、利益を守るために、親会社(トラスト)を作って、利益を独占した。二人の話を紹介して、伊東先生は次のように言われる。

 「ノーベル賞のノーベルといえば偉い人だと普通は考えられているでしょう。確かに発明したという点では偉い人には違いないのです。だが少し見方を変えると、ノーベルは独占という反社会的なことを行なった人で、偉いどころか、問題の人なのです。社会のことを考える時には、こうした、いくつもの見方が一人の人についてもできるし、する必要がある――これが大切なことの一つです」。

 複眼で見、通念を乗り越えて考える。大切なものの見方、考え方である。神がどう見ておられるか、それも一つの視点。