宇宙人からのメッセージ ① 

 「今ドキの青年伝道にまつわる話」と題して、西堀俊和牧師(日本基督教団信濃町教会)の悪戦苦闘した体験談をかつて読み、忘れられない。その話とは、あるキリスト教主義の短期大学で聖書科の講師をしたときの経験である。

 授業の様子が次のように語られている。「静かにしなさい!」毎回45分の授業で何度も怒鳴る。一瞬は静まるものの、それが一分と持たない。また騒ぎだす。また怒鳴る。うるさい!うるさい!うるさい!その繰り返し。あの空しさ、惨めさ、敗北感は何にたとえたらいいだろうか。どうにもならない、こちらの負け。授業を途中で止めて教室を出たこともしばしばだった。心身共に極限まで疲れ切った。

 元教師の私にもこれほどひどくはないが似た経験を幾度かしたことがあるのでよくわかる。さて、その西堀先生をさらに落胆させることがあった。それは周囲の講師や教会関係者の言葉である。「俺たちはつけっぱなしのテレビと同じなんだから」「今ドキの子なんて聖書の話なんか聞くわけない。教会なんて来るわけないよ」。そして、とどめを刺されたある先輩牧師の言葉。「今の子に聖書の話なんかしたって、どうせ『宇宙人』だと思われて、相手にされないよ。カミサマ、カミサマと肩肘張らないで、誰でも判るようなイイ話をしなさい」というものである。この先輩牧師は励ます意味で助言をしたのだろうけれども、これで、西堀先生、ムカつく。

 学生は地球人、われわれ牧師は異次元からやって来た宇宙人であって、お互い違う世界に住んでいるんだから言葉なんて所詮通じないということか。福音は伝わらないとハナから決めてかかるとするならば、私があの学校に遣わされた理由は何か。私は何のためにあの教室に行くのか。私は、そして、あなたは何者か。

 このように考えさせられた西堀先生、ついに態度を決めた。私は宇宙人。上等である。私が別世界に住む宇宙人ならば、それをハッキリさせた上で、宇宙人のメッセージを教室という地球に向かって発し続けたらいい。作戦変更した西堀先生の奮闘記の続きは次週のお楽しみ。

 私も思い出す。ある年の生徒、ひたすら下を向いて、なにを言っても無反応。私には生徒が宇宙人に見えた。