宇宙人からのメッセージ ② 

 「宇宙人」とされた西堀牧師は、聖書に無関心な「地球人(学生)」にメッセージを発し続ける戦いのため、作戦変更する。

 「聞く」ことの訓練を受けていない若者に授業内容をレポートさせるという授業法の変更である。そして、提出された毎回200枚のレポートに丹念に目を通す。この作業は元教師の私にはどれほどの時間とエネルギーと忍耐を必要とするか、よく分かる。しかし、一人ひとりの理解度がよく分かり、すこしずつ学生が見えてくるようになる。

 やはり、西堀先生も同じであった。先生の中に変化が起こり始めた。集団の中から「一人一人」が見え始めた。名前を覚えてくる。彼女たちの心の奥底、悲しみや孤独が見え隠れするようになった。直接会って話を聞きたくなった。個人的に声をかけることを試みた。そうこうするうち、喧騒渦巻く教室内でもメッセージを受け止め、まっすぐな視線を投げかけてくる学生が二人、三人と現れ始めた。

 この学生たちに向かって更に語り続ける先生は、今度はこの若者たちに直接届く「言葉探し」の作業を始めた。福音をどのように伝えるべきかを考える時、出会いのきっかけになるような言葉を探し求めなければならない。現代の生活の中に神の国を指し示すような言葉を見つけなければならない。「信仰義認」「啓示」「律法主義」……これらをただそのまんま発音するだけで、新しい人との出会いを期待してはならない、と自ら戒めて努力をされる。

 更に、先生の苦闘は続く。今度は学生たちの生の現実に近づくためにふさわしい内容、主題探しである。先生は「十戒」を選んだ。これは正解だったという。若モノの生活経験に十戒の特に第二の板(六戒から十戒までのこと)が通じたのは、貪り、盗み、姦淫への誘惑は勿論のこと、殺人への誘惑さえ若い人々の日常と無縁ではないことを物語っており、そんな彼らにそれらを戒める権威が必要とされているのでは、気づかされた、と言う。

 「この人たち、マジで信じてんの?」と言う、今ドキの若者に真摯に向き合う西堀先生に敬意を表するとともに、教えられること多しである。相手との関係を築くツールを見つけ、ひたすら相手のところに降りて行く。そして一人ひとり、名を呼んで人格的な対話を重ねる。根気のいる仕事である。神の導きを信じていくのみである。