駅伝の苦い思い出


 今年も孫二人を連れて、箱根駅伝の応援に行ってきた。すごい人気で毎年大勢の人が応援に駆け付けている。応援の旗をもらって、ただガンバレ、ガ
ンバレと声援を送るだけであるがこちらも元気をもらうから不思議。帰り道あるおばあちゃんが、今年も応援に来られてよかったね、と嬉しそうに話し
ていた。孫たちは帰宅してから今度はテレビの前で旗を振りながらガンバレガンバレとやっている。

 応援場所は往路3区の平塚中継地まで2キロ弱の134号線の八間通り入口付近である。たいていの選手は20キロ近く走っているので苦しそうに、それでも最後の力を振り絞って走り抜けていく。そんな姿を見ていると、かつて中学・高校で走った駅伝を思い出す。それも苦い思い出。

 中学2年の市内新人駅伝。最終区の私は、なんとコースを間違え、追い抜かれて入賞を逃してしまったのだ。2月の寒い時期、山口では珍しく前日
に大雪。当日雪はやみ、行われることになった。例年、コースの曲がり角には石灰の白線が引いてあり、道を間違えることはない。しかし、私の区間は
郊外の田んぼのあぜ道を走る。雪は残り、道は真っ白。白線は積もった雪の下に消えていた。ゴールを目指して走っていた私は広い田んぼの十字路で迷
って間違えたのである。しばらくすると応援の友だちが「杉野、こっち、こっち」と遠くから叫んでいるではないか。しまったと思ったが後の祭り。

 閉会式に集まってきた仲間はみんな下を向いて何も話さない。私を責めるわけでなく、かといって慰めてくれるわけでもない。ただみんな悔しかったの
だと思う。最後まで何を話すでもなく、その日は別れた。翌日から何事もなかったようにまた一緒に練習に励んだ。私はその無言という仲間の態度に救
われた気がした。

 そんなこともあってか、3年になってから、今度こそは入賞をと団結して練習に励んだ。結果、3年生にとっては最終で最大の駅伝大会に2位入賞した。失敗から多くのことを学んだ。3年間苦楽を共にしたと言っていい7人の同級生は私の人生の宝の一つである