力を抜くこと

 朝日新聞(1月14日)の「加藤登紀子のひらり一言」に「力を抜くことに、力を入れましょう‼」とあった。思わず膝を打った。言いえて妙。力を抜くのに力を入れる。矛盾したことだが加藤登紀子は次のように言っている。「冗談言ってるんじゃないのよ、これ整体の先生のセリフ。そう、力抜くことさえ出来れば、全部うまくいくのよ。それで体幹も鍛えられる!」。

 これって、生き方にも当てはまる。いつも全力投球じゃ、疲れていつかポキリと折れてしまう。付き合う方だって(例えば家族や友人、同僚など)疲れて付き合いきれない。昔20代の頃、校長に言われた。「杉野先生はいつも直球勝負の全力投球だね。時にはカーブを投げることを覚えなさい」。直球の全力投球がカッコいいと信じ込んでいた私。でもいつもそれでは相手の生徒は疲れてしまう。静かに聞いているようだが、実は聞き流すようになる、というわけだ。また。若い時はいいが、年を取ると直球だけでは勝負にならなくなる。校長の一言にハッとして、そんなことを気づかされた。それからは、生活に仕事にメリハリをつけることを意識するようになった。

 力を抜く、リラックスする。時には休みが必要だ。しかし、この休みをうまく休めない人がいる。本気で(力を入れて)休めない、遊べない人のことだ。リフレッシュできていない。次に備えて鋭気を養うためには思いっきり遊んだり、趣味を楽しんだり、息抜きをちゃんと考えて行うことだ。呼吸と同じ。思い切り息を抜く(息を吐く)と次は自然と(気張らないでも)息は入ってくる。よくしたものだ。

 日本では昔から「ハレ」と「ケ」ということを言った。「ハレ」は 儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、「ケ」は普段の生活である「日常」を表している。ハレの日はごちそうや酒を飲み、晴れ着を着たりして、日常とけじめをつけていた。信仰生活でいうならば、日曜日に日常の生活から離れて教会へ行き礼拝を守る。そして日常の生活へと帰って行く。この一週間のリズムは、長い人生において、メリハリというかケジメがついて有益だろう。だらだらと流されないために。