ただいま

「ただいま!」と言って帰るところがある人は幸いだ。どんなに傷ついていても、どれほど疲れていても、そこに帰れば待っていてくれる人がいて、何の心配もなくくつろげるところ。どんなに長い間道に踏み迷い、どれほど放浪を重ねたとしても、そこに帰りさえすれば何も言わずに迎え入れてくれる人がいて、重荷を全部下ろせるところ。

 学生時代から結婚するまで、約10年間下宿やアパートで一人暮らしをした。確かに帰るところはあったが、待っている人はいなかった。自由気ままでよかったが、時に寂しさを感じることもあった。

 だからか学生時代は友だちの家や下宿に遊びに行ってはよく泊まった。私の下宿にも毎日のようにだれかれとなく友だちが来て泊まっていった。コタツと寝袋が大活躍したことが懐かしい。みな雑魚寝である。

 現代の若者たちの最大の心の叫びは「居場所がない」ことだという。その気持ちはよくわかる。たとえ健康や才能に恵まれ、モノとカネがあまっていたとしても、自分の居場所がなければ心が休まることは決してないのだから。

 大都会の街に若者があふれているのは、実は街が楽しいからではなく、自分の家にすら居場所がないからだ。路上に座り込む若者たちが一様に寂しそうなのも、当然のことであろう。仲間で安心してくつろげる居場所があるなら、だれが好き好んで冷たいアスファルトに座るだろうか。

 教会がそんな若者たちの居場所にならないだろうか。いや若者たちだけではない。子どもから高齢者まで、だれもが気軽に出入りでき、居ていいところ。時にはお茶かコーヒーが出てくる。そして訪れた人が「私はここにいてもいい」と思えるような居場所。そのためには教会は場所と時間と労力を少しだけ提供することが必要だろう。

 「サロン虹」「みんなのカフェ」「手芸の会」そして「こひつじひろば」がそのような居場所になることを願っている。若者だけでなく子どもから高齢者までの居場所作りは今後の教会の課題であろう。教会は最後にみんなが「ただいま!」と帰りつく天国(神の国)への橋渡しであるのだから。