自己肯定感

 茨木のり子さんの詞華集『おんなのことば』(童話屋)の中に次のような一節がある。子どものなにげない「声」を聴きとる素晴らしい感性だと思う。

 「みずうみ」「〈だいたいお母さんてものはさ/しいん/としたところがなくちゃいけないんだ〉/名台詞を聴くものかな!/ふりかえると/お下げとお河童と/二つのランドセルがゆれてゆく/落葉の道/お母さんだけとはかぎらない/人間は誰でも心の底に/しいんと静かな湖を持つべきなのだ(以下略)」

 私たちはあるがままの自分の感情と静かに向かい合い、影のようにうずいている悲しさ、しんどさ、つらさというような暗い感情を持つことがあるが、決して罪ではないし、悪いことではない。いわゆるマイナスの感情を抱く自分であっても、まるごと愛してくれる人がいてくれる、そう信じられるようになったときにはじめて人間は、本当の意味で自己肯定感を抱くことができると言われている。

 そのために必要なのは、マイナスの感情とおずおずと向き合いながら言葉を交わし合える誰か(家族か友人か仲間か)との絆を見つけていくことだと思う。仲間づくりの基本は「弱音」を吐いても「大好きだよ」「大丈夫だよ」と言い合える関係性をつくることにある。

 何もかも自分一人で抱え込んで、自分を責め続けながら、しんどい毎日を送っている人は、「ああ今の私のこの感じが分かってくれている」と実感できる他者がいない。しかし、そのように悩んで、困って、泣いて身体をこわばらせているのは、響き合えない悲しみであると同時に、自分と響き合ってほしいという心の叫びなのだ。

 泣くという行為に象徴されるように、子どもが身体を硬くして自分を閉ざすという行為は、閉ざすことで開こうとしているのであり、閉ざすことで他者との絆を取り戻そうと必死にもがいているのである。その時、こうした身体と響き合える関係づくりが、大人同士の関係にも、子ども同士の関係にも、最も求められているのではないだろうか。弱さと向きあって共に生きる関係づくり。

*『自分の弱さをいとおしむ』(庄井良信 高文研 2004)24-38p参照