古澤嘉生先生の思い出


 西南学院大学神学部での恩師、古澤嘉生先生が5月17日に召天された。享年88歳。20年前、神学生だった私たちが古澤先生にとって最後の教え子になる。古澤先生に2年間、教会音楽を教わった。

 毎回授業の始めに、先生のオルガン伴奏で賛美歌を歌った。そのあと短くその讃美歌の説明をして下さった。日頃あまり歌わない賛美歌が多かったように思うが、先生の説明を聞いているとその讃美歌の良さが伝わってきた。授業は、賛美歌の歴史、そして礼拝における賛美歌の働きについてだった。知らないことばかりだったので、毎回新鮮で楽しみだった。

 古澤先生の自宅で授業ということもあった。先生のお宅には小型のパイプオルガンがあり、パイプオルガンの仕組みやその歴史について教えてもらった。おいしい紅茶とケーキつき。なんとぜいたくな授業であったことか。

 個人的な思い出もある。ある日、先生が私のところに来られ、新生讃美歌集を広げて、「杉野さんは国語の先生でしたよね。この讃美歌の歌詞はこれでいいでしょうか?」と聞かれた。何番だったかは忘れたが、その讃美歌の歌詞を繰り返し読んだ後、私は「歌詞は日本語として間違いではないが、表現としてはうまくないですね」と答えた。その歌詞は口語体で訳されているが、一部が文語体の表現になっていた。混交文といって表現方法としてはありだが、その効果が生かされてないのである。いくつかの讃美歌についても聞かれたがどれも同じパターンであった。一言でいえば、「詩」になってないということ。

 こんなこともあった。先生から、韓国の神学生(来日2年目)のレポートの手助けをして欲しいと頼まれた。要は日本語(主に書くこと)の指導をしてほしいということだった。さっそく、その神学生がどの程度、日本語を習得しているか、本人から聞いて、サポートした。そんなこともあって、1年間であったが親しくなった。その神学生の日本語の習得の速さに驚いた。その神学生とは、現在、連盟の宣教研究所所長をしているP先生である。

 いつも英国紳士のようなおしゃれであった古澤先生、天国でお会いしましょう。