集うことで癒される

英語のチャーチ(教会)の語源は、ギリシア語のクリアコン(キリストのもの)。しかし、聖書で「教会」というときは、もっぱらエクレーシアという言葉が使われている。「集会」という意味だが、エク(~から)+カレオー(呼ぶ)で、呼び集められた者の集いということになる。

 パウロが手紙を書いたころは、信者の家庭での集会を「家の教会」と呼んでいた。そのころは「教会」といっても、現在のような教会組織はない。ただキリストに呼び集められた人々が集まって、もっぱら祈りと賛美、それに主の晩餐をしていた。

 レイチャル・ナオミ・リーメン(米国・医学博士)という人が、「人は集まることによって癒される。人に話を聞いてもらって癒され、人の話を聞いて苦しんでいるのは自分だけではなかったと知って癒される」と言っている。人間は一緒にいて、話をするだけで癒され、元気が出てくるようにできているようだ。

 集まることで癒されるにさらに一緒に食事をするが加わるともっと元気になれるだろう。長年、保護司をされていた女性が、少年犯罪は空腹と孤独から起こると体験から教えられ、もう数十年前から子ども食堂を自宅でされていた話を先日新聞で知った。子どもの話を聞いてあげる、お腹一杯食べさせてあげる場所としての食堂、そしてそこに行くと一人ではない居場所。それは大人でも言えるのではないだろうか。

 教会は集会だという。そこでは祈りと賛美が捧げられ、主を真ん中にして主の晩餐をする。食卓を囲むのだ。現在は主の十字架と復活の出来事の記念として、またしるしとして行っているが、原点は過ぎ越しの愛餐会である。私たちの教会も毎週礼拝後に昼食会をしている。また、ことあるごとに集まって食事をしたり、お茶をしている。大事にしたいと思う。

 4月から子育てサロン「こひつじひろば」を始めた。以前から行っている「みんなのカフェ」「サロン虹」「手芸の会」、どれも集って、おしゃべりし、時に手を動かし、時に歌い、遊ぶ。将来的には子どもの居場所をこひつじ館で行うというビジョンもある。教会が集うことで癒される場所でありたい。