身辺雑記

最近、朝の儀式(起きてから朝食までの行動を勝手にそう呼んでいる)に味噌汁づくりに加えて乾布摩擦が加わった。夏の早朝散歩は汗をかくのでシャワーを浴びるのが日課だが、冬場は汗をかかない。しかし、時にジトっと汗をかくことがあり、その時は下着を脱いでタオルで拭く。拭いていた時、そういえば小学生の時、全校で一斉に乾布摩擦をしていたなと思い出した。そうそうこんなふうに体をこすっていたな、寒い校庭で。これは血流をよくするし、風邪予防にいいなと思い、早速始めることにしたというわけである。

 3月の引っ越しに備えて、本の整理をした。5月以降ずっと気になりながら手付かずだったが、12月頃から始めてやっと終わった。手元に残す本、神学生に寄贈する本、古本屋に売る本、捨てる本と4種類に分類しながらの作業だった。本というものは必要な人、読みたい人には宝物だが、そうでない人にとってはただの紙くず。重たいし場所を取り、ほこりがたまる厄介物だ。読みたいと思って買った本だったが、結局「積読読み」の本だらけになった。もちろん今でも、時間さえあれば読みたい本ばかりなので、未練が残るつらい作業となった。でも、終わってみると意外とすっきりした気分になった。ただブックオフにもっていけば、新書なら5円10円という値段。値段が付けばいい方。涙が出た(笑)。

 先週、牧師読書会に湘南台教会へ出かけた。5~6名の小さな会だが始めてもう8年目に入る。私が言い出しっぺで、連合の牧師に呼び掛けて始めたものだ。月1回のペースで、神学書や説教集などをテキストに持ち回りで発題をし、みんなで感想や質問を出しあって学びを深めていく。昨年は1年かけて、米国の女性司祭(聖公会)テーラー牧師(米国で有名な説教者)の説教集を学んだ。今は元西南学院大学神学部教授の松見俊先生の『三位一体論的神学の可能性 あるべき「社会」のモデルとしての三一神』(新教出版社)を読み始めている。これが難解。広範な神学知識がないと無理。でもみんなで読めば怖くない(笑)。楽しくやっている。