「今日からはじまる」ルカによる福音書22章14節ー30節

平塚教会の新しい牧師として招聘をいただきました、平野健治牧師です。今日を迎えるまでに、私には様々なドラマがありました。そして、おそらく平塚教会の皆さん一人ひとりにも今日にいたるドラマがあったのだと思います。招聘委員会の立ち上げや、新しい牧師を迎えるための様々な準備をしていただきました。たくさんのお働きに感謝します。そして最後まで平塚教会の牧師として立たれた杉野省治先生にも感謝をします。杉野先生とご家族の上に新しい生活が与えられますように、お祈りしましょう。逗子第一教会のためにお祈りしましょう。
平塚教会は、新卒の、決して即戦力ではない牧師を迎えました。私も初めての牧師に実は不安な思いでいます。よく牧師として大切にしたいことは?と聞かれます。私は苦しんでいる人、社会で見下されている人、小さくされている人、まずその人と関わる、共に歩む、それを大切にしたいと答えています。教会で私が上でも下でも、大でも小でもないように、あなたも見下される必要はない、小さくされる必要はない。その福音を伝えたいのです。
一方、社会には「偉い」と言われている人がいます。その人にも伝えたいと思います。人の価値に上も下も、大も小ないっていうことを。今日は統一地方選挙の前半戦です。夜には当選が判明すると思うのですが、当選した方に一番言いたいのは、小さくされている者、困っている人に関わり続けよということです。その声をよく聴いてほしいのです。
教会ではお互いを尊敬し、先生と呼び合うことがあります。でもこの教会の中には本当の先生と呼ばれるお方は、一人しかいません。それは私たちの真ん中におられる、イエス様です。このキリストが私たちの教会の唯一の先生です。私たちは全員がイエス様の弟子です。だから教会は「協働」して仕える者、礼拝する者たちの集まりです。「共に」仕える群れなのです。
今日の聖書個所、イエス様は上座に座って「君たちは私に何をしてくれるのか?」と聞くお方ではありません。むしろ食べ物を運ぶ、給仕の働きをされるのです。もしイエス様がそんなことをしたら、弟子たちはどうしたでしょうか。「あとよろしくお願いします」とは言わなかったでしょう。「それなら私も働きます」「私も給仕します」「私も運びます」そう言ったでしょう。そして全員で準備して、全員で食べて、全で片づけたでしょう。それはまさに、共に働く、協働するという姿ではないでしょうか。
私たちは主イエス・キリストに仕える群れです。私たちは互いに仕えあう群れです。協働する群れです。イエス・キリストが私たちの共同体の中心です。今日その群れに二人の信徒・一つの家族が加えられました、牧師が加えられました。ともに主の教会を建てあげましょう。今日からはじめましょう。