「愛の絆による平和」コロサイ信徒への手紙3章11節ー15節

ある人は平和を作りだすために大切なのは、普段の関係だと言います。普段その国と仲良くしていれば、問題が起きたとしても、戦争にはならない、平和を守ることができると言います。それは事実だと思いますし、日本もいろいろな方法で交流をしています。例えば経済的な結びつきを強める、人の行き来を自由にする、互いの文化を紹介する。そのことは日頃の結びつきを強め、平和を守ることにつながります。文化や経済、交流によってつながることで、多少の問題が起きても、戦争に発展することは少なくなります。
でも私はそれにも限界があると最近感じています。今の日本と韓国の状況をみると、課題に直面する時、経済的な結びつきは当てになりません。今まで音楽や、人の行き来、経済でこれだけの交流があったのに、それが崩れてしまいそうなのです。それは私たち一人ひとりにも置き換えることができる出来事かもしれません。私たちも一人ひとりが色々な関係で結びついています。その関係があれば問題の解決がしやすくなります。しかしそれにも限界があるということを知っています。
もしかすると、問題が起きたとき、当事者同士の今までの関係が、どのような関係であったのかが問われているのかもしれません。大きな課題が起きたとき、知恵と力を合わせて解決をできる、そんな関係かどうか。それとも、仲が良いように見えても、課題が起きた肝心なときに、そのつながりが破れてしまう。聞き合うことができるか、問題が解決できる関係なのかどうか、それが試されているのだと思うのです。
課題に向き合う時、愛以外の絆はほどけてしまうでしょう。人間の結びつきは簡単にほどけてしまうでしょう。もし私たちの教会が愛以外の絆でつながれているのであれば、私たちもすぐにほどけ、バラバラになってしまうでしょう。でも愛の絆であれば、課題に向き合う時にこそ、ほどけてしまいそうな時こそ、神様によって、強く、堅くされるのです。
神様が与えて下さる愛の絆によって、私たちは招かれ、一つにされます。お互いに不満があっても、神様がそれぞれを愛してくださっているように、理解し合うことを諦めないで、赦しあって、つながっていたいのです。
私たちの関係は、神様の愛が結び付けてくださる関係です。教会の私たち、そして世界の国々が、神の愛によって、ひとつにされてゆくように祈りましょう。愛の絆は、私たちと世界を必ず一致させ、未来に進ませるからです。
教会にもいろいろな関係が生まれます。でもお互いを大切にする、神様の愛でつながって行こうと思うのです。そして一緒に愛の絆で乗り越えようと思うのです。平和に招かれている私たちは、愛の絆でその道を歩みましょう。そしてそれは教会だけではなくて、家族や世界にも広がっていくのです。
愛とは平和への絆です。私たちには神様との愛の絆、隣人との愛の絆があります。愛は私たちに必ず平和を与える絆なのです。