「名誉よりも謙遜」ルカによる福音書14章7節ー14節

今日のイエス様のお話は「たとえ話」です。礼儀作法の話ではありません。このたとえ話は招待した人が神、招待された客が私たちです。神様が私たちを招いてくださいました。神様に招かれた人々はこれから楽しい時がはじまります。しかし、神様に招かれた人々が始めたのは、どちらが神様の前に正しいか、どちらが信仰深いか、そうお互いを評価しあうということでした。
そこに招待した主人である神様が現れます。自分が正しいと思う者、自分が信仰深いと思う者を末席に行かせ、自分は神様の前に、過ちの多い者、信仰の薄い者であるという者に「さあ、もっと近くに来なさい」と神様は言います。11節、神様の前で「高ぶる者は低くされる、へりくだる者は高くされる。」のです。神様は自分の欠けや、弱さを認める者に「もっと近くに来なさい」とおっしゃるお方です。
そしてこの話、23節から二つ目のたとえ話が続きます。イエス様はこのたとえ話で見返りを目当てにしないで愛しなさいと教えます。
見返りを求めない、それは難しいことです。こんなに愛しているのに、愛されないということです。こんなに優しくしているのに、優しくされないということです。こんなに我慢しているのに、ちっとも我慢してくれない。こんなに一生懸命なのに、ありがとうの一言もないということです。
お互いに励まし合い、愛し合い、ありがとうと言い合う関係を大事にしましょう。そしてもし誰かからの優しさ、愛に気づいたら精一杯感謝と愛を伝えたいと思うのです。神様からの愛に気づいたら、隣人からの愛とやさしさに気づいたら、精一杯感謝を伝えましょう。
しかし神様はお返しがあっても、無くてもすべての人に恵みをあたえてくださるお方です。神様は見返りを求めずに、私たちを愛して下さっています。それが神様の愛、無償の愛です。だから私たちも見返りを求めずに、愛し合って生きなさいというのが、この教えです。私にもそういう愛が欲しいです。無私の愛。愛が帰ってこなくてもそれでも愛す神様の愛が欲しいです。
後ほど敬老祝福祈祷をします。今日までのお返しできない大きな恵み、祝福に感謝して、感謝の祈りをささげます。そしてこれからもその恵みと祝福があるように祈ります。そして神様は、13節、体が不自由になっても、私たちが歩けなくなっても、目が見えなくなっても、私たちを招き続けて下さいます。神様がこの礼拝に招き続けて下さるのです。
礼拝は神様の恵みの大きさを知り、感謝をするときです。私ではなく、神様に栄光がある。その謙虚さを証しし続ける時です。続けられる限り、礼拝に集いましょう。それが私たちにできる神様への本当に小さな、お返しです。一緒に神様の前で自分の小ささを知り、へりくだり、謙虚になって、神様に感謝する、その礼拝の時をこれからもいただきましょう。そして集まった人々の愛と優しさを知り、互いに愛し合い感謝し合ってゆきましょう。