「70年間の勇気」ヨハネ16章25節~33節

 

 今日より私たちの教会が70年を迎えたという事について、3回に分けて考えてゆきたいと思います。

70周年の節目に教会の資料整理をしています。古い執事会の記録や証し集などに目を通すと70年間で何回もこの教会にはピンチがあったという事を知りました。それと同時に教会がこれまでの70年間、変わらずに語られている事を考えました。その一つは平和という事が言えると思います。

教会は70年間、平和を語り続けました。どの牧師たちも平和を語りました。礼拝で平和を宣べ伝える、それは牧師個人の願いを超えるものです。神様が私たちに平和のためのみ言葉を与え続けて下さったのです。70年間神様は、平和を実現するために、私たちを勇気づけて下さったのです。

しかし一方、私たち人間の決意、平和への決意とは弱いものです。75年前の空襲の夜、どれほど強く平和を願った夜だったでしょうか。しかし今平和の誓いも危機にあります。また教会の内側も70年間平和だったとは言い難いものでした。分裂や閉鎖の危機さえもありました。

このような中で、私たちが平和を求め続けてゆくには、何よりも、神様から励ましが必要です。私たちは神様が70年間、平和を私たちに語り続け、その実現のために勇気と励ましをくださったから、これを続ける事ができたのです。平和は必ず実現します。それが神様の約束だからです。

今日の個所はイエス様の長い話、それも平和のためだったあります。そしてイエス様はもうそれを言葉やたとえによって伝えるのを終えると言います。はっきりと知らせるとは、十字架によって知らせるという事です。

弟子たちは30節「今、分かった」「私は信じます」と言います。しかし、この後の弟子たちはイエス様を見捨てて、散り散りに逃げて行きました。平和をすぐに諦めてしまいました。私たちには決心より神様の力が必要です。

私たちには、私たちの決意に先立つ恵みと導き、神様からの励ましと勇気が必要です。イエス様は言葉だけではなく、十字架によって、私たちにその力を、平和を実現するための力をお与えになるお方です。

十字架とは神様と等しいイエス様が、もっとも平和から遠くされた出来事です。私たちはもう二度と誰も十字架にかけてはいけない、誰も剣を持たない、誰も見棄てない、困難から逃げない、その力を私たちはいただくのです。その十字架から私たちは力をいただき、平和を願い求め続ける者となるのです。決意に先立つ恵み、勇気、励ましを頂くのです。

平塚バプテスト教会も何度も打ちのめされそうになりながらも、神様によって建てられ続けてきました。そして平和を語り続けてきました。それができたのは、ひとりひとりのがんばりに先立つ、十字架のイエス様がいたからです。これからも神様は共にいて下さいます。私たちは平和を求め続け、み言葉に聞き続けましょう。神様からの勇気を求め続けましょう。