「神は計画を変える」マルコ9章2~10節

イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。マルコ9章2~3節

 

今日から新年度に変わります。新しい計画を進めてゆく時には必ず紆余曲折があるものです。元の計画は必ず変更になります。最後に完成した姿を見ると、最初の計画とは似ても似つかない、違うものになっていたということはよくあることです。

計画は直線的であっても、実施は柔軟な曲線のようなものです。私たちが祈るのは、計画が私たちの考えた通り、まっすぐ直線的に実現されることではありません。この計画に神様の力が働いて、変えられて、私の計画が曲げられて、神様の計画が実現されてゆくことを祈りたいと思っています。

今日は、私たちの人生には神様がいつも共におられること、そして神様は私たちの計画を変えながら、導いてゆくことを見てゆきます。

今日の個所は「キリストの変容」と言われる箇所です。受難節にこの個所を読むとイエス様の人生は紆余曲折の連続だったことを知ります。その紆余曲折を図にすると次のとおりです。この紆余曲折はすべて神様によって起こされた事です。2節にも正確に翻訳すると「変えられた」という神的受動態が使われています。そして変えられたイエス様は、山頂にそのままずっと留まったのではありません。山を下り十字架へと向かってゆきます。そしてその後には復活があります。再び神の栄光を受けるときが来るのです。このようにイエス様の人生は紆余曲折します。神はそのように人の計画を変えて導かれるお方です。

今日、このような人生と計画が紆余曲折する中で覚えておきたいことは、私たちの人生の紆余曲折の中にもイエス様がいつも共にいるということです。

イエス様は一人で山に登ったのではありません。2節、イエス様が弟子が引っ張ってくださったのです。神様が栄光の場所へと共に連れて行ってくださるのです。神様はそのようにして、人間にできないこと、計画にないことを見せて下さるのです。

9節には「一同が」山を下りるとあります。イエス様は共に、山から下りてきてくださるお方です。それはイエス様がベツレヘムの家畜小屋に生まれてきてくださったことと似ているでしょう。人間の住むこの世界に、イエス様は私たちと共にいてくださる、下ってきてくださるのです。

このようにして神様は私たちと共にいて下さるお方です。人生の紆余曲折の中で共にいて下さるお方です。そして神様は、私たちの思う計画を変えるお方です。神様ご自身の計画を実現されるお方です。私たちの人生は、私たちの教会の計画は一直線に実現するのではないでしょう。神様が計画を変えるでしょう。

そのことを覚えてそれぞれの1年を歩みだしましょう。お祈りいたします。