「調理で元気にする神」マルコ1章29節~32節

 

イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした

マルコによる福音書1章31節

 

こひつじ食堂から見えてきた福音を分かち合っています。こひつじ食堂にはたくさんのボランティアの方々が集まり動機は様々です。みなさん、とても活き活きと、笑顔で手伝ってくださっています。ある方は障がいをお持ちで、なかなか就職をする自信が出ないそうです。でもその日の体調が良い時だけなら、自分にもできると思って、ボランティアを始めたいと訪ねてこられました。

誰かのために働くこと、それ自身がその人の活力になることを知りました。教会は何かを提供するのではなく、教会と言う場所が、やりがいと、力を発揮できる場所となっていることをうれしく見ています。これはきっと神様の働きでしょう。神様は調理するということを通じて、みんなを元気にして下さっているのです。

今日は聖書から、立ち上がった女性がすぐに、他者のために働く姿を見ます。私はこの姿がボランティアの方々に重なります。イエス様はそのように人々に活力を与えてくださるお方なのです。今日はそのことを見てゆきましょう。

今日の聖書箇所で、女性は熱にうなされています。イエス様はそのような場所に、イエス様の方から来て下さるお方です。私たちの人生にも高熱を出し、立ち上がれない、しんどい時期があるものです。その時、イエス様は私たちを訪ねてくださるお方です。そして私たちがもう一度立ち上がることができるようにして下さるのです。

立ち上げられた女性は31節すぐに「もてなした」とあります。こひつじ食堂を通じて、私は誰かに料理を作り、手渡すことの喜び、あふれてくる活力を知っています。きっと彼女は活き活きと料理をしたのではないでしょうか。

イエス様は病や弱さを持っていた人を、起き上がらせました。そして、また元気にさせ、活力を与え、みんなのために仕える人としました。それがイエス様が起こした奇跡です。熱はしんどかったけど、熱を出す前よりももっとみんなとの関係、イエス様のとの関係は深くなりました。イエス様はそんな奇跡をここで起こしたのです。

イエス様は私だって誰かのために、何かしたい。体と時間の許す限り、誰かのために生きたい、そんな女性の願いをかなえ、立ち上がらせ、働く者とするお方です。私はこひつじ食堂を見ていると、この聖書の個所をそのように感じます。

神様は苦しいとき、私たちを訪ねて下さるお方です。私たちもそのように、苦しむ人がいる時、共に歩み、神に祈りましょう。神様は私たちをもう一度活躍できる、誰かのために働けるようにしてくださるお方です。誰かのために祈れる者としてくださるお方です。誰かのために生きる者としてくださるお方です。私たちに生きる活力をお与えくださるお方です。そして神様はもう一度、私たちを強く結びつけてくださるお方です。私たち、この神様を信じましょう。共に従ってゆきましょう。力をいただき、誰かのために働き、祈ってゆきましょう。お祈りします。