「苦しみを引き受ける神」ルカ23章35~43節

 

イエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。                       ルカ23章43節

 

アフリカ・ルワンダでは1995年に集団虐殺があり、多くの人が殺されました。私たち日本バプテスト連盟では佐々木和之さんを派遣し、人々の和解を支援しています。ある時に佐々木さんが行った平和を教えるためのワークショップをご紹介します。このワークショップでは参加者は家族を失った悲しみや傷に向き合い、それらを小さな紙に書きだしてゆきます。そしてその紙を釘で十字架に打ち付け、祈りと賛美の後、焼いて、灰としてゆきます。このようにして、悲しみや憎しみを主にゆだね、他者を赦し、自分自身を赦し、平和へと導かれてゆきます。このような赦しは私たちにも共通する点があるのではないでしょうか。私たちにも赦しが与えるためには、その思いを正直に、十字架へと差し出してゆくことが必要なのではないでしょうか。今日の聖書からもそれを見たいと思います。

イエス様と共に十字架に架けられた二人は、一人は悔い改める罪人、もう一人は最期までイエス様を侮辱した罪人です。後者は最期の最期まで信仰を持たなかった愚かな人間と評価されてきたでしょうか。私はルワンダでの佐々木さんのワークショップの話を聞くと、この罪人が痛み、苦しみを十字架のイエス様に正直にぶつけた人として見えてきます。十字架に架けられた彼は自分の痛み、魂の傷をイエス様に向けて、隠すことなく正直に言葉にしました。自分の思いのたけを叫んだのです。彼はそうすることによって、持っていく場所のない思いを神様にぶつけ、赦しへと導かれていったはずです。

イエス様は43節「今日、あなたは私と共に楽園にいる」と言います。この個所は実は、誰に向けて答えたのか、相手は明確に書かれてありません。聖書はイエス様を罵り、自分の苦しみを正直にぶつけたあの罪人が「あなたは今日、わたしと共に楽園にいる」と言われた可能性にも開かれています。イエス様は、十字架に苦しみをぶつける言葉も、信仰の告白として受け取ってくださったのではないでしょうか。

イエス様はこのように、私たちの偽りのない苦しみや憎しみの言葉をすべて引き受けて下さるお方です。イエス様は苦しみを十字架にぶつけた者に、楽園、神様の愛の下にあることを約束して下さったのです。

イエス様は楽園にいるは「今日」だとおっしゃいます。いつかではありません。今日です。あなたが苦しみを十字架に吐き出す今日、あなたは楽園にいる、あなたはイエス様の愛の下にいるということです。私たちは今日、十字架に苦しみ、悲しみ、憎しみ、すべての思いを言葉にしてぶつけてゆきたいのです。私たちには苦しみをよく知り、引き受け、愛の下にいる約束をしてくださる十字架のイエス様がいます。私たちも今日、その神の愛の下で、楽園にいる約束がされています。私たちも今日、その思いを正直に十字架へと向けてゆきましょう。お祈りをいたします。