ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
マルコによる福音書1章5節
氷の崖の上から一番最初に水に飛び込むペンギンをファーストペンギンと呼びます。ファーストペンギンは誰より先に“未知”へと足を踏み出す存在として「勇気のある先駆者」の代名詞となりました。私たちの教会もファーストペンギンと言えるかもしれません。地域との新しい関わりを求めて様々な取り組みを始めました。
そして実は自然界のファーストペンギンは体を押しあっているうちに落ちてしまうケース、蹴り飛ばされ落ちるケースもあるそうです。私たちの教会はそのような意味においてもファーストペンギンかもしれません。何か見えない力によって、後ろから蹴り出されたのかもしれません。いずれにしても神様を信じて飛び込む、そこに新しい宣教が生まれて来るのではないでしょうか?今日は先駆者を考えます。
バプテスマのヨハネは水の中に体を沈めることをきっかけにして、自分の今までの生き方を新しくしなさいと最初に教えた人です。人々はまるで“もう一度生まれ直す”ように水に身をゆだねていきました。そしてイエスも他の人々と同じ様に、水の中に飛び込み沈むバプテスマを受け、新しい生き方をスタートさせました。
バプテスマのヨハネはその後、命を奪われてしまいました。イエスも最初に飛び込んだ者がどうなるのか知っていたはずです。しかしイエスは愛の活動をやめることはありませんでした。
ヨハネが強調したのは、悪と汚れへの厳しい裁きでした。しかしイエスはいつも罪人や病人と行動しました。イエスは弱さを持った他者をいつくしむ「愛」を強調しました。イエスの伝えたのは、他者を愛すること、他者と共に生きる事、そのような態度・行動だったのです。イエスはその愛ゆえに十字架へととかけられてゆきました。一番最初に愛を語り、一番最初にそれを実行に移しました。そしてイエスは殺されてしまいました。この十字架はイエスが愛に生きようとした証し、この十字架はイエスが私たちの世界に飛び込んできた証しです。
私たちに目を向けましょう。私たちは新しい生き方を目指す、他者を愛す、そう決心し、洗礼・バプテスマを受けました。水の中に沈みました。私たちもアドベンチャーを始めた者です。
あなたが最近「愛するのが怖い」「愛に飛び込むのが怖い」と感じた時はいつでしたか?みなさんにとってこの1週間の中で“愛に向かって踏み出す小さな一歩”とはどんなことでしょうか?みなさんが今、恐れている愛の一歩はなんですか?他者を愛することは痛みも伴いますが、その痛みの向こうに、関係がもう一度開く時があります。大きくなくていいでしょう。誰かの話を聴くこと、祈ること、それらも立派な“愛へのダイブ”です。他者を愛する生き方、共に生きる生き方、分かち合う生き方へと歩み出したいのです。アドベントの光の下、もう一度、愛の海へと飛び込んでゆきませんか? イエスが選んだこの愛の道を、あなたはどう感じますか?
