「小さな愛が奇跡に」ルカ2章1~7節

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

ルカによる福音書2章6~7節

 

この1年間、私たちは様々な地域への活動をしてきました。平塚のたくさんの方がこの活動に賛同し、寄付を下さっています。地域のみなさんの小さな愛が積み重なり、私たちの想像を超える働きになりました。

時々教会には特別な困りごとを持った人が相談にきます。平塚市内のいろいろな人と連携しながら支援をしています。聖書にも困りごとを持った人が登場します。今日はそんな人を助け合う、支え合う、連携するという視点で聖書の物語を見てゆきたいと思います。きっと物語の中にある愛を見つけられるはずです。

私はベツレヘムの町の人々は平塚の人々と同じ様に、温かい心のある人だったと想像します。村に入るとすぐに「あれ、ヨセフじゃないか?」と声がして、地域の連携による泊まれる場所探しが始まったはずです。ベツレヘムの人々の思わず手を貸したくなる気持ち、愛が村じゅうを駆け回りました。村の人々は「うちで良ければどうぞ」そう言ってくれる人を見つけ出しました。決して満足のいく場所ではありませんでしたが、みんなで一生懸命探した場所でした。そこで出産することになりますが、出産にも多くの人の手助けがあったはずです。小さな点と点が少しずつ結ばれ、一枚の絵になるように、村の人々は力を合わせていったのです。ベツレヘムのクリスマスとはそんな小さな愛が重なってゆく物語だったのではないでしょうか?

小さな愛が積み重なると、想像できないほど大きな奇跡が起こるのです。みんなのちょっとずつの愛は大きな奇跡を起こすのです。一人一人の少しずつの小さな愛がとても尊い力へつながってゆくのです。この物語の背景にもそれが隠されているのではないでしょうか?

イエスの誕生、きっとそこには自分には何の責任もないのに、他人の困りごとに関わって何の利益もないのに、でも真剣に寄り添った人、真剣に隣人を愛した人がいたはずです。みなさんはこの物語の空白をどのように想像するでしょうか?

もしあなたがベツレヘムの村の一人だったらどうしましたか?そこで、どんなことができたでしょうか?時を超えて考えましょう。私たちは、周りにいる、ちょっと困っている人に、どんなことができるでしょうか?あなたが人の痛みに触れ、何かをしてあげたいと思った時、これならできると思うことはどんなことでしょうか?

その小さな手が愛と言うのではないでしょうか?このクリスマスの物語は、あなたができる愛とは何か?それを私たちに問いかけているのではないでしょうか?

聖書とイエスは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」と教えています。私たちにできる愛はなんでしょうか?クリスマスの時、それぞれに愛を思いめぐらせてみましょう。