「休息をください」マタイ11章28~30節

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

マタイによる福音書11章28節

 

みなさんはちょっとしたことで快適になったという経験がありますか?私はブロワーという機械のおかげで楽に、そして少し楽しい気持ちで落ち葉拾いができるようになりました。落ち葉の季節は終わり、植物は春に花を咲かせるまで力を蓄えています。それまで庭の管理は休息が出来そうです。皆さんは休息をどのように取っているでしょうか。今日は聖書から働くことと休息することについて考えます。

イエスはいつも休みなく働かなければいけない人々を見ていました。それは昔の人々に限らず、私たちもまた同じです。“軛(くびき)”とは、牛や馬が働くときに身につける道具のことです。軛に農機具を付けることによって土を耕しました。悪い軛は体に合わず、うまく力が入りません。本領を発揮するには良い軛が必要でした。

イエスが新しい軛を下さるとは、私たちが本来持っている力を発揮し、前に進むことができるようになるという意味です。それは自分が力を発揮できる場所を見つけ、自分らしく進むための助けになり、自分に合う生き方のリズムのことです。私たちの人生にもどうしても前に進むことができない時があります。でも私はイエスが私と私たちの教会に、新しく前に進む方法を与えてくれると信じています。なかなか前に進まないことを体験しました。でも「何だ、こっちの方が良かったじゃないか(笑)」という方法を神様が示してくださることを信じています。

そしてイエスはこの言葉の中で「休み」についても語っています。人間には誰しも人生の中で心折れる時があるものです。イエスは私たちに優しく「少し軽くしてみる?それでもだめなら休んでみる?」と語りかけています。

「休ませる」という言葉はギリシア語のアナパウオーという言葉です。それは“立ち上がるために終わる”“回復させるために一時的に立ち止まって息をつく”という意味です。日本語の聖書はこのアナパウオーを「慰める」「元気づける」「待たせる」と訳しています。聖書の言う「休む」はまるで、うつむいていた顔が、ゆっくりと上を向くのを待つような言葉です。

みなさんの人生にはどんな重荷があるでしょうか。勧められているのはまず軛を変える事です。でもそれでもダメな時は「休みなさい」と言っています。不安がなくなるまで、また前に進もうと思える時まで休む、神様はそんな時を下さるお方です。

そして私自身も今、立ち止まらなければ前に進めないと気づいています。だから私はこのアナパウオーの休息をしばらく受け取りたいと思っています。そして休む期間にまた神様が導き、立ち上げて下さる時が来ると信じています。その間神様がこの教会を支えてくださると信じています。

私たちはそれぞれに疲れています。きっと神様が良い軛を与えてくださり、思わず笑みがこぼれるほど、重荷が軽くなる経験を与えてくださるでしょう。そして神様はどうしても力ができない時「休み」を与えて下さるでしょう。お祈りします。