人生に五計あり

 日本語にはいろいろとためになる言葉(教訓)がありますね。今日紹介するのは昔から言われている「人生に五計あり」です。最近、ある随筆を読んでいて覚えた言葉(教訓)です。

 

 「五計」とは何でしょうか。まず、「生計」…いかに生きていくか。生き甲斐をどこに見つけるかです。キリスト者にとっては信仰でしょう。次に「家計」…これはすぐに分かりますね。生きるためには経済力が必要です。少なすぎては生計もおぼつかなくなります。

 

 三つ目は、「身計」…健康状態です。これは体だけではなく、頭も心も健康でなくてはなりません。身計の次が「老計」…これが実に大変難しい。要は美しく老いるための計画です。最後が「死計」…死ぬときどんな気持ちで死んでゆこうか、その計画です。

 

 人生の五計というとき、それは誰も皆死ぬという「死計」が定まっていて、そのために今日をどう生きるかという「生計」があります。「生計」のために適当な「家計」「身計」が必要で、それらは美しく老いるための「老計」につながっていくのです。

 

 さて、その「老計」ですが、人生80年時代を迎えて、第一線を退いてからも10年も20年もあるとなると、晩節(晩年の節操)を全うするのもなかなか大変なことです。『レ・ミゼラブル』の作者ビクトル・ユーゴーは、「上品さにしわが加わるのは、なかなかいいものである。幸せな老年は、もう一つの人生の素晴らしい幕開けなのだ」と言います。また、20世紀の有名な哲学者マルティン・フーバーには、「老いているということは、もし人が始めるということの真の意義を忘れていなければ、素晴らしいことである」という言葉があります。

 

 新しく始めるのに遅すぎるということはありません。一つのことが終わった時を新しいことの始まる時と考えたらどうでしょう。常にチャレンジする人の顔は輝いています。先日もテレビで平均年齢66歳のチアリーダーのおばさんたちが紹介されていました。みんな生き生きと心身ともに健康で輝いていました。信仰生活も同じではないでしょうか。日々新たにされて生きる。