いつか来た道

「歴史は繰り返す」と言われる。作家の中島京子さんが朝日新聞(2014年8月8日)に、現代の日本が「毒を体に慣らすように受け入れた『非常時』あのころと似た空気」であると危機感と怖さについて書いている。

 中島氏は、戦前にも文化的で平和な暮らしがあったが、一方で「人々の無知と無関心、批判力のなさ、一方的な宣伝に簡単に騙されてしまう主体性のなさ」があったと批判する。しかし、人々の無関心を一方的に責めるわけにはいかない、と言う。なぜなら、「戦争が始まれば、情報は隠され、統制され、一般市民の耳には入らなくなった。それこそ『秘密保護法』のような法律が機能した。怖いのは、市井の人々が、毒にちょっとずつ慣らされるように、思想統制や言論弾圧にも慣れていってしまう」からだ、と。

 しかし、それは戦前のことで、戦後の日本は民主主義国家なのだから、きちんと情報が伝えられる中で、主権者である国民がまともな選択をすれば、世の中はそんなにおかしな方向に行かないはずだと漠然と思っている。それは思っているだけで、現実は大変な数の主権者が投票に行かず、棄権している。そのことによって、明らかに自分自身を苦しめることになる政策や法律が国会を通ってしまっても、結果的にそれを支持したことになると気付いていない。そうした人たちが、だんだんと日常に入りこんでくる非日常を、毒に身体を慣らすように受け入れてしまうかと思うとほんとに怖い、と書いている。まさにそうだ。政治は人ごとで、無関心。自分が何をしようと、世の中が変わるわけじゃない、という無力感と政治不信に満ちている。それは権力者の思うつぼ。これを愚民政策という。

 そうではない。日本国憲法第12条には書いてある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。大事なのは主権者の自覚。常に関心を持つ状態こそ「日常」化させること(当たり前のこととして考えること)ではないか。