愛について深い祈り

近隣の牧師たちと読書会をしている。先週は私の順番で発題した。テキストは『水平から垂直へ 今を生きる私たちと聖書』(船本弘毅著 教文館 2013)。その8章の「自由と愛」をテーマにした箇所。ガラテヤ書5章1-13節から学んだ。

 その学びの中で、ミシェル・クオストという司祭の祈りに出会った。孫引きだが紹介したい。  
 主よ、愛には二つしかありません。
 わたしだけを愛する愛と、あなたと他者を愛する愛と。
 わたしが、自分だけを愛するたびごとに
 あなたと他者への愛が少なくなってゆくのです。
 それは愛の水もれなのです。
 それは愛のロスなのです。
 愛はわたしをとびたって、他者へ向かうように作られました。
 だから、それがわたしたけに向けられるときに、
 それはしぼみ、くさり、枯れてゆきます。

 この素晴らしい詩(祈り)を書いた司祭さんってどんな人だろうと、ネットで調べてみた(こんな時、ネットは本当に便利)。ミシェル・クオストは、1919年生まれのパリのカトリック大学を出た、社会科学者で、ル・アーヴルという下町で青少年指導の司祭を務めた、と簡単な紹介があった。

 彼の書いた「愛は痛みだ」の詩。繰り返し読んで味わってほしい。

 子よ、愛することは容易じゃない
 誰かを愛していると思っても
 それはしばしば、自分を愛しているに過ぎない
 そこですべてが駄目になり、そこですべてが御破算になる。
 愛することは、誰かに出会うことだ
 そのためには、喜んで我が城をあとにして
 その人に向かって、その人のために歩かねばならない。
 愛するとは心を通わせることだ
 心を通わせるためには、その人のために自分を忘れ
 その人のために完全に、自分に死なねばならない。
 子よ、わかるか、愛は痛みだ
 アダムとイヴの堕罪このかた--よく聞いておけ
 人を愛するとは、その人のために/おのが身を十字架にかけることだ。

 愛は傷つくことを恐れない。