レントなきイースターはなし

ある本に「レントなきイースターはなし」と書いてあった。私はハッとした。イースターが盛り上がらない。イースターを心から喜び感謝する気持ちが少なくなっている。それはレント(受難節)の過ごし方に問題があるのだ、ということに今更ながら気づかせてくれた。悔い改めさせられた。感謝。

 今年のイースター(復活祭)は3月27日。レントはイースター前までの日曜日を除く40日間。だから今年は2月10日からということになる。今週の水曜日(10日)からである。

 レントに入る最初の日、水曜日は「灰の水曜日」と言われている。なぜそう呼ばれるのかというと、その日に前年の乾いた棕櫚の葉を教会で灰にして、「人よ、死を想え(メメント・モリ)、汝、灰より出で、灰に帰するを」と唱えて、額に十字架を記したり、頭に灰をかぶったりという儀式を行ったからだという。

 当然儀式(形式)には意味がある。形だけの問題ではなく、内面が大切である。40という数字は、ノアの洪水の時、40日40夜雨が降った(創世記6:11以下)。出エジプトの際、イスラエルは40年間荒野で旅をした(民数記14:33以下)。一方、主イエスは荒野で40日悪魔に誘惑された(マタイ4:1以下)。これらの苦難、試練を象徴する数字。そこから悔い改め、克己、節制、断食、そして何よりも主の十字架をしのび、その恵みに応える意味が込められている。私たちのために十字架に向かわれた主の熱き愛を心に宿す期間である。

 レントとは、神の御声を聴く時である。キリスト者としてどのように生きたらよいのか、神の御心を知る時でもある。それには、「力を捨てよ、知れ!わたしは神」(新共同訳)「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳)(詩編46:11)との姿勢が大切である。主イエスは荒野で悪魔の誘惑を受けた時、神の御言葉によって悪魔を退けられた。御言葉こそ力なり。