つなぐ使命を持った人(コーディネーター)

以前、久山療育園発行の『愛の手を』にN先生が、重症心身障がい児の娘を持つ父親の立場から、「障がい」について書かれたものを読んだことがある。N先生とは神学校で2年間共に学んだ仲で、その娘さんにも会ったことがある。

  N先生は「障がい」について次のように言われる。第一に当事者である本人の力では避けることのできなかったもの、つまり不可避性。二番目に、その「障がい」というのは本人があらかじめ知っていた訳でなく、つまり不可知性。三番目に「障がい」というのは、完全には元の状態、つまり「障がい」がなくなるという状態には戻りにくいという、不可逆性。そして四番目にだれでも可能性はあるのだということ。

  だから「障がい者自立支援法」のいう、本人の責任でサービスを受け、受けた分だけ支払うというのは「障がい」のもつ四つの事柄とは逆の考え方だと批判される。

  さらにN先生は、教会との関係についても次のように言われる。教会に「障がい児(者)」がいるとしたら、教会はどういう方向に向かって、礼拝や集会をしていくのか。福祉の世界にはコーディネーターと呼ばれる人たちがいて、つなぐ使命の資格を有した方たちがいるが、教会にもつなぐ使命を持った伝道のあり方、種をまき続けること、水をやり続けること、そういう働きが必要だ、と提起される。

  「コーディネーター」、カタカナ語辞典では、会議や仕事をスムースに進めるための調整役。英和辞典では、同等[対等]にするもの[人]。調整役、まとめ役。N先生はこれに「つなぐ使命を持った人」という意味を加えられている。世話役とも少し違う。

  教会(神)と「障がい児(者)」をつなぐ人。教会と子どもをつなぐ人。青少年と教会をつなぐ人。高齢者と教会をつなぐ人。病人と教会をつなぐ人。地域の人とつなぐ人。なかなか含蓄と広がりのある言葉である。これをキーワードにこれからの教会のあり方を考えてみたい。