カテゴリ:牧師室から2016



2017/03/26
 主イエスは「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:10-11)と人々に語られた。羊飼いの仕事はかなり苦労が多い。当時、野生動物は現代よりもはるかに数が多く、今では姿が見られないオオカミ、ヒョウ、オオヤマネコ、クマ、ライオン等が絶えずヒツジをねらっていた。さらに、盗賊もいた。一方、パレスチナ地方は乾燥して暑さが厳しく、ヒツジに規則的に水を飲ませることが必要だった。このため羊飼いは水や新しい牧草地を求めて群れを移動させなければならなかった。羊飼いは石投げ器やこん棒などで武装していたが、ヒツジを守るために、時には血を流し、命を落とすこともあったという。  野生のヒツジが家畜化されたのは8千年前、またはそれ以前といわれている。家畜のヒツジは敵に対する防衛力を持たない。角は野獣に対する武器にはならないし、鋭い爪も牙もない。必然的に羊飼いだけが頼りである。ヒツジは臆病だとも言われるが、忍耐強く、柔和で従順である。  聖書には九十九匹のヒツジを残して、迷子になった一匹のために時間と労力をさく羊飼いの話がある。こうした愛情に、ヒツジは羊飼いの声を聞き分け、絶対的な信頼をおいてその後に従った。この羊飼いとヒツジの関係は神と人間の関係によくたとえられる。実際に主イエスは人間の救いのために「よい羊飼い」として命を捨てられた。  主イエスは「柔和な人々は、幸いである」(マタイ5:5)と語り、聖書は随所で忍耐と柔和な心を求めるように勧めている。人間は科学におごり、武器で平和を勝ち取れると錯覚してしまった。今こそ「よき羊飼い」の声を聞き分けるために、柔和な心とともにヒツジの臆病さをも学ぶべきだろう。臆病さとは謙虚さに、柔和な心とは憐れみ、慈しみの心に通じるだろう。
2017/03/19
1946年、米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは、日本人の精神を西洋と比べた日本文化論『菊と刀』を著した。彼女は日本を定義して「恥の文化」といい、西欧の文化を「罪の文化」と呼んで比較した。...
2017/03/12
今年もイースターが近づいてきました。4月16日です。クリスマスと比べてイースターは盛り上がりませんが、レントの意味を知れば致し方ありません。しかしキリスト者にとっては大事な時です。...
2017/03/05
 神奈川に住んでいると福岡は遠い。かつて福岡県久山町に心身障害児(者)施設「久山療育園」が開園したと聞いても、どんな所にどんな建物でどのような方が入所しているのか、イメージが浮かんでこなくて、存在が遠く感じられた。...
2017/02/26
聖書にはイエス・キリストを羊飼い、人間を羊にたとえた話がたくさん出てきます。そこで今日は羊に関するクイズを出してみました。あなたはいくつ答えられるでしょうか?さあ、挑戦してみましょう。  問1.羊は泳ぐことができる?   問2.羊は流れている川の水を飲むことができる?  問3.羊は人間の声を聞き分けることができる? ...
2017/02/19
毎週木曜夜7時30分からのNHKテレビ「ファミリーヒストリー」を楽しみにしている。著名人のルーツを探る番組である。その人の祖先の歴史に様々な人生ドラマがあり、興味は尽きない。...
2017/02/12
 袴田事件は冤罪(えんざい・無実の罪)事件である。袴田事件とは、1966年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌会社専務一家4人が殺され、放火された事件。当時会社の従業員であった袴田巌さんが逮捕され、拷問を伴う長時間の取り調べにより、自白を強要され起訴される。...
2017/02/05
米国の社会ではユニークさを出すことは高く評価され、人と同じことをしている人は能力がないとみなされる。しかし、日本の社会では、ユニークさを出すことは、反感を買い、いじめの対象にすらなることがある。そういう恐れというマイナス面は当然ついてくる。だからユニークさを出す生き方は、その根っこに土台がないと続けることができない。...
2017/01/29
「他人の靴を履いてみる」という言葉が英語にあるそうです。人の立場に立って考えるという慣用句です。人の痛みを知るという意味でもあります。痛みは、感性と言ってもいいかもしれません。感性を辞書で引くと、「物事を心で深く感じ取る働き」とあります。それは、一つの出来事について表面的な反応ではなく、一度心でしっかりと受け止めた上で判断することと言えるかもしれません。  ある人が、サーカスの猛獣使いに「ライオンやトラ、クマなどを従わせることができるのはどうしてですか」と聞いたら、猛獣使いはこう答えたと言います。「それは簡単だよ。ゾウはゾウなりに、トラはトラなりに個性を持っている。それぞれ個性に合った使い方をすればいい。それ以外に方法はない」と。同じように、人を成長させたかったら、その人の長所に一番個性が出るのだから、長所を生かして用いることが大切だということです。その長所を見出すには感性を磨く必要があります。  聖書の力を信じるクリスチャンは、自分が行くべき方向を、祈りの中で求めていきます。その中で、それまで自分が思いもしなかったアイデアが与えられたり、覚悟が固まることもあります。その意味で、神に聞くという祈りは、感性を磨き、自分のユニークさや才能を発揮するとても良い方法と言えるでしょう。  あるテーマについて祈り、この方針は神も望むことだという確信を得たら、人間の力がさらに強くなります。神はそういう方法で私たちに責任をとらせて仕事をさせます。だから祈ると決心することができるし、それ以降、心はとてもクリアになるのです。そうした心で行うことは、よき結果に結びつくことが多いものです。  しかし、結果は神にゆだねるもの。神にゆだねるとは、良い結果が出ても自分の手柄としないということです。同じように、悪い結果が出ても人のせいにしないということです。結果を神にゆだねるということは神への信頼、神への祈りから生まれます。
2017/01/22
 12月25日のこの欄でストレス対処法として「気晴らし」の効用について書いたが、今日はその第2弾で私が以前から「儀式」と呼んでいるものだ。最近読んだ『人生の後半戦とメンタルヘルス』(藤掛明 キリスト新聞社 2016)、にも同じことが書いてあって意を強くした。...

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