平和をつくり出すのは対話

今まで何度今まで何度も平和をつくり出すには「対話」が欠かせない大切なものだとこの欄でも書いてきた。以前、ある集会で吉高叶先生(日本バプテスト連盟常務理事)が、平和を構築していくには「対話力」が必須だと語られた。そして憲法9条に関連して、紛争の解決を武力でもってしないのだから、私たちには対話の道しか残されていないのだ、とも言われた(2014年2月16日)。

  その大切な対話を難しくしてしまうものとして、渡辺祐子先生(明治学院大学教授)はあるシンポジウムで、相手にレッテルを貼ることだと言われる。それは、対話どころか存在そのものを排除しようとすると指摘された。さらにレッテル貼りに人間観の貧しさと同時に硬直性を感じるという。その「精神のこわばり」(精神科医・野田正彰氏)を持っている人は、自分と異なる見解を持つ人、出自の違う人、宗教的背景が異なる人との間に対話が生まれる可能性が極めて低い、と言われた。対話の回路を自ら断ってしまうことになるからである(2014年3月2日)。

  また、加藤誠先生(大井バプテスト教会牧師)はある集会で、日本の社会全体の「対話力」が落ちている。自分の関心や世界に閉じこもり、「異見」を許容できない社会になり、一人ひとりの「孤立」が深まっている、と指摘された(2014年2月16日)。

  今回、日本バプテスト連盟の「平和宣言推進プロジェクト」から『平和のつくりかた』という、大変やさしく書かれた冊子は発行された。その中に、「対話は、自分が思っていることを相手に伝え、また相手の思いや考えを聞くことです。そうした対話を通して、お互いを知り合うことができるだけではなく、お互いに変わり、お互いに新たにされることがおこされていきます」とあった(4p)。対話を通して変わり、新たにされる。私たちは、「変わる、新たにされる」ことを恐れている「精神のこわばり」に陥っているのではないか、と思わされた。「対話」の努力、「対話」を培う教育・訓練をしてこなかったツケは大きい。今からでも遅くはない、対話をはじめるしかない、と思わされた5月3日憲法記念日であった。