炊き出しから思うこと

教会の中庭でホームレス支援のための炊き出しを始めて丸4年になります。今まで多くの教会や支援者たちの理解と協力をいただいて続けてくることができました。感謝です。月一回ですが楽しみにして来られています。会食者は10~18名といったところでしょうか。

  当日はテーブルやイスの出し入れ、調理の手伝いなど、みんな積極的かつ自主的にしてくださるので、私はただ座っておしゃべりしているだけです。時に相談事もありますが、一緒に食べるだけです。そんなゆるやかなつながりですが大事にしたいと思います。

  高齢者の居場所づくりを、と始めた「サロン虹」の活動もメインは食事です。一緒に食べる。それが楽しいのです。イエス様も度々弟子たちや時には会衆(罪人と言われていた人たちや貧しい人々、異邦人たち)と食事をされました。それは神の国が一緒に飯を食うことから始まることを端的に示しています。

  前にも紹介した韓国の詩人、金芝河の詩。彼は、60年代の民主化闘争(朴独裁政権批判)により、獄中につながれました。しかし、韓国の「民衆神学」に強い影響を与えました。もう一度味わってみましょう。

  飯が天です
 天を独りでは支えられぬように
 飯はたがいに分かち合って食べるもの
 飯が天です
 天の星を共に見るように
 飯はみんなで一緒に食べるもの
 飯が天です
 飯が口に入るとき
 天を身体に迎えます
 飯が天です
 ああ 飯は
 みんながたがいに分かち食べるもの

 私たちの教会でも毎週、礼拝後昼食会をします。愛餐会と呼んでいる教会もあります。なぜ大切にして行っているのでしょう。それは飯が天だからです。神の国のこの地上での先取り、ひな形だからです。主の晩餐の原型です。神の国の宣教を担う教会にとって宣教の原点を示しているのです。どの食事会も同じように大切にしたいと思います。