言葉は出会い

最近、朝日新聞を読んで出会った三つの言葉。とても印象に残ったり、うまい言い方だなとか、なるほどと感心したりした言葉。言葉も出会いだ。出会いは常に送り手(話す、書く)と受け手(聞く、読む)双方に「何か」を起こさせる。対話か対立か無視かすれ違いか誤解か……。それはその人の感性、知識、興味・関心、価値観、タイミングなどでそれぞれ違うだろう。

  一つ目の言葉(5月25日)、「人生において、病気になったという事実を変えることはできませんが、病気になった意味を変えることはできると信じています」(宮本直治さん)。「病気」という言葉をいろいろな言葉に置き換えてみよう。例えば、失恋、失業、離婚、落第、失敗などなど。キリスト者は「信仰」によってその意味を捉え直す。

  二つ目の言葉(5月27日夕刊)、今も舞台で活躍の80歳になる浜木綿子さん。ご自身の人生を一言で言うとのインタビューに「山あり谷あり、今はゆるゆると」と答えられる。「今はゆるゆると」、何とも味のある、実感のこもった言葉遣いだろう。普通なら「ぼちぼちと」と言うところだ。この微妙な違い、味わってみよう。

  三つ目の言葉(5月29日)、駅ビルの喫茶店店長の井野朋也さんが出した看板の脇に貼ってある「WAR IS OVER!(戦争は終わった)」のポスター。その下に小さく「IF YOU WANT IT(きみがそう望むなら)」と添えられている。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」と主イエスは言われる。キリスト者は真の平和を望む、主の平和を望む。そのために働く。すでに約束され、ゴールは見えている。そんな思いにさせてくれた言葉であった。

  言葉は出会い、出会いを待っている。仮に言葉を空に向かって発したとして、その言葉も最後は自分に返ってくる。そこで衝突が起こり、火がつくこともある。言葉が剣となって突き刺さって痛みを伴うかもしれない。励まし、勇気を与えるかもしれない。言葉は力を持つ。神の言葉もしかり。