聖書ってな~に?

 先週の日曜日の午後、百合ヶ丘教会の宇野雄司牧師の按手礼式に出席した。連合内で牧師就任式は多いが按手礼式は久しぶりで、とても良い学びの時となり励まされた。

  式の中で、宇野先生の素晴らしい「信仰決心と召命の証」を聞き、「信仰告白」を確認した。併せて百合ヶ丘教会の「信仰告白」も掲載されていたので、私たちの教会の「信仰告白」を思い浮かべながら読んだ。もう一度、原点に戻り学び直してみようと思った。そこで、まず「聖書」の項目から。

  平塚教会の信仰告白「聖書は、神の霊感を受けて書かれ、イエス・キリストによるすべての人間の救いを啓示するものであり、私たちの信仰生活の唯一の規範である。」

  大変短くまとめられているが、この文言は(他の項目も)すべて「聖書」の御言葉に根拠づけられて作られている。そこで今回は、できるだけ根拠となる御言葉を紹介して「聖書ってな~に?」の問いに答えてみたい。

  「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」(テモテⅡ3:16-17)。

  「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたし(キリスト)について証しをするものだ」(ヨハネ3:39)。

  「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」(コリントⅠ15:3-5)。

  「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)。

  おおよそ聖書についておわかりいただけたでしょうか。あとは直接読まれることを勧めします