落合恵子さん その心意気や よし

12月の朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」に落合恵子さんが12回にわたって連載された。その11回目を読んでいた私は思わず「落合恵子さん、その心意気やよし」と叫んでいた。

  もう30年前のことだが、私が勤めていた学校のPTAで彼女の講演会をしたことがあった。担当だった私は役得で校長室で親しく懇談したのだが、その時の彼女の態度が突っ張っているというか、少し生意気な態度に好感が持てなかった。彼女の本『合わせ鏡』も読んでみたが、当時の私には響くものがなかった。そういうわけで、実は以前から彼女のことはあまり好きでなく、評価していなかった。

  ところが、今回の連載で、彼女はその後、様々な苦労や試練を経験しながら大きく成長していったことが分かった。東日本大震災で、「私は後悔に打ちのめされました」と告白している。1986年のチェルノブイリ事故後、反原発の立場から彼女はそれなりに活動していたのだが、十分に持続できなかったからだと言い、「もう二度と言い訳は許されない」と、自分と約束をした、というのだ。それ以後彼女は「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」を始め、既に77回を数えるという。

  「脱原発と反戦を唱える二つの団体の呼びかけ人に名を連ねたところ嫌なメールや電話が続きましてクレヨンハウス(彼女が主宰している子ども書店)は子どもたちが大勢遊びに来られるので、お客様に何かあったらと怖くて、何度も悩みました」と語っているが、昨年の安保法成立の直前には国会前デモで演説もしている。

  さらに彼女は次のように語っている。「『幸せ』と呼ぶものがあるとしたら、それを阻むカラクリに気づくことから始めたい。見渡せば、いつも支配される者同士が対立させられています。それを火の粉が及ばない所であぐらをかいて眺める人がいる。権力を『対峙するもの』として闘った結果、私たちは負け続けてきた。焦燥感があります。でも敗者の痛みに想像力を持って学びたい。勝敗という単純な構図を超えたいのです」。その心意気やよしと叫びたくなる言葉ではないか