究極の隣人援助

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイによる福音書1章23節)。

 インマヌエルとは「神は我々と共にいます」という意味ですから、救い主は天高くいますお方ではなくて、この地上に私たちと共にいてくださるということです。この救い主の姿は、クリスマスにおいて始まり、世の終わりに至るまでも変わりないことを、主は、「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と弟子を派遣される際の言葉の中に表明されます。

 主が共にいてくださることを信じる信仰ほど、人に勇気と慰めを与えるものはありません。究極の隣人援助は、「共にいる」ことであるとカウンセリングの世界で言われます。

 人が危機の最中にいればいるほど、共にいてくれる人の存在が重要な意味をもちます。危機を経験した人なら、なまじっかの気の利いた言葉を聞くより、だれかが傍らにいてくれるだけで慰めを得、勇気が湧いてきたことを知っているはずです。

 救い主は、いついかなる時も共にいてくださることを知っているなら、前途暗澹たる思いにたたずむ時も決してそのまま捨て置かれることはないとの確信のほうが絶望よりも大きく心に広がることを経験することでしょう。

 人が危機の中にいればいるほど、「恐れ」が生じてきます。しかし、聖書は多くの箇所で「恐れるな」と記しています。それは「神我らと共にいます」からだ、というメッセージをいつも含んでいます。クリスマスの出来事もそうです。

 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2:10-11)。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(マタイ1:20)。