受難節(レント)は自己解放の時

今日は受難節(レント)第2主日礼拝である。今年の受難節は2月14日(水)からで、この日は「灰の水曜日」(中世のカトリック教会で、この日に主の受難を覚えて、頭に灰をかぶったことから名付けられた)と呼ばれ、この日から主の十字架の苦しみを覚える受難節に入る。

 受難節はイースター(復活祭)前の6回の日曜日を除いた40日間をいう。40日間とは、主が荒れ野で40日間断食されたことに基づく。この間は悔い改めのための特別な期間で、一日一度の食事しか取らず、肉や酒の飲食を禁じた時代もあった。日曜を除くのは、日曜が主の復活の喜びの日であって、断食すべき日ではないからである。

 レントとは、神の御声を聴く時である。キリスト者としてどのように生きたらよいのか、神の御心を知る時である。それには、詩篇46:11「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳)との姿勢が大切である。あなたが神であることは知っている。今更、静かにしなくてもというかもしれない。しかし、本当に神の御心、御力を知った上で、私たちは主に喜ばれる信仰生活を送っているだろうか。案外、私たちは神の前に静まることなく、自分の思いで、いたずらに動き回ってはいないだろうか。

 忙しくしていないと不安な人がいる。しかし、忙しい時、人は心を失い、静かに聴く忍耐力がない。だから、すぐに人を非難し、裁く。神の言葉の中に、神の恵みを汲み取れない。困った忙しさである。霊的無能な忙しさである。神の臨在に気がつかない危険な忙しさである。

 レントは、霊的危険な忙しさの生活パターンから、自己を解放する時である。自らの力を捨て、静かに神と親しく交わることによって、神から新たな力を頂くことができる。信仰復興の時でもある。充実したレントの期間となるように、悔い改めと感謝の祈りを献げ、聖書に親しむ時としたい。そして私たちは、イエス・キリストの福音が告げ知らせる神の慈しみと赦しとを思い起こし、与えられている信仰がさらに新しくされて、復活の朝(4月1日)を迎えたいと思う。