【全文】「和解の協力伝道」(マタイ2章13節~23節))

みなさん、おはようございます。今日からまたこのように、自宅で献げる礼拝となりました。会うことができない事はとても残念ですが、また再び集うことができるという希望を忘れずに集いましょう。私自身も冬休みを延期しました。楽しみにしていた予定はキャンセルとなって残念なのですが、入学以来学校にいけない学生たち、卒業式がどうなるのか不安な学生たちの気持ちがよく分かったような気がいます。持っていきどころのない思い、くやしさ、焦りがあります。その気持ち、神様に向けてゆきましょう。神様にぶつけてゆきましょう。今年も私たちはこどもを大切にする教会です。また子どもたちも見てくれているでしょうか。子どもたちの声は聞こえませんが、共に礼拝をしましょう。このような状況ですが、今月は「協力伝道」というテーマで1月の4回の宣教を行ってゆきたいと思っています。

私たちはバプテスト連盟に加盟している教会です。バプテストは各個教会主義を大事にしています。それぞれの教会が自分の教会のことを自分で決めるという、当たり前のことを大事にしています。平塚バプテスト教会は、誰からも何かを強制されたりしませんし、従わなければならないという事はありません。すべてを自分たちで考えて、祈って決めます。そのために経済的にも自立しています。よく聞かれるのですが、牧師のお給料やこの会堂の管理をどうしているのですかというと、すべて私たちの献金で賄っています。私たちはそのように自立しています。誰かからの指示ではなく、自分たちで集う礼拝を続けるかどうかを決めています。

そして自立と同時に、孤立しないように、仲間と協力をしています。一つの教会だけではできない事、解決できない問題もあるからです。協力伝道献金という形でそれぞれの教会から献金し、様々な活動に用いられています。平塚教会だけではできないことがあるから、協力をするのです。

その大きな柱は国外伝道、牧師養成、無牧教会の支援です。あるいはこのコロナ禍を乗り切る知恵の分かち合いもそうでしょうか。ひとつひとつの教会では海外に宣教師を送ることもできません。牧師に専門的な教育をすることはできませんし、牧師がいない期間や教会もあります。コロナ対策をどうするか情報共有が必要です。だから協力をしているのです。

私たちはこの時、1カ月をかけて協力伝道について、国外伝道、牧師養成、無牧教会の支援などを一つずつ考えてゆきたいと思います。今日はその中の国外伝道について考えます。

私たち日本バプテスト連盟ではカンボジア、シンガポール、インドネシアに宣教師を派遣しています。そしてルワンダには宣教師ではなく、自分で活動費を集めながら奉仕する国際ミッションボランティア(IMV)として佐々木和之さんを派遣しています。国外伝道は非常に多く資金を必要とします。年間3000万円~4000万円が国外伝道のために使われています。とても各個教会でできる働きではありません。連盟の教会が協力し合って派遣しています。ちょうど今私たちはパネル展を開催中です。「アフリカ・ルワンダで和解と平和のために働く佐々木和之パネル展」です。どうぞ食堂の展示をご覧になって帰ってください。ここには衝撃的な写真もあります。人々が折り重なって亡くなっている写真です。

ルワンダでは1995年、二つの民族の憎しみから虐殺が始まりました。100日間で80万人が犠牲になったと言われています。昨日まで隣で仲良く暮らしていた人が、突如殺しあう関係になってしまったのです。ルワンダは野蛮な人々の住む国ではありません。控えめな人々が穏やかに暮らす国です。

しかしある時期から指導者や、マスメディアの扇動、差別が始まり、虐殺に発展したのです。この虐殺の対象は、大人に限りませんでした。多くの生まれてまもない子どもたちも犠牲になったのです。

この虐殺の原因は、誰の心にもある差別や暴力への誘惑です。遠い国の人の話ではありません。差別と暴力の誘惑は誰の心の中にもあるのです。その証拠に日本人も南京大虐殺や、関東大震災の時の朝鮮人虐殺などをしています。考えるだけで暗い気持ちになります。ルワンダの虐殺は私たちの罪、私たちの暴力性を真正面から提示する事件といえるでしょう。しかし、私たちは協力伝道によって、その闇に一筋の光を見ています。それが佐々木和之さんの働きです。佐々木さんはその二つの民族、人々の和解と平和のために働いています。謝罪すること、償うこと、生活を再建すること、教育を通じた和解と平和の働きを粘り強く行っています。

 

虐殺は神の導きではありません。人間の弱さ、残酷さ、罪の結果です。しかし神様は私たちに和解してゆく力を与えてくださいました。罪を犯すままにされるのではなく、それを和解する力を神様が下さったのです。私たちはその力を協力伝道によって知るのです。佐々木さんは、人々が虐殺の悲しみ、憎しみを乗り越えて、歩めると信じ活動をしています。生き残った人々が憎しみを超えて、共に生きる道、平和の道を歩めると信じて活動しています。そしてゆっくりですが、少しずつ、現実になってきています。キリストにあるその平和の働きは虐殺後の希望となっています。この和解の出来事は、世界の裏側の出来事ではありません。私たちに和解について問いかける事柄です。私が和解を促されている人がいるだろうか。私たちの国が和解を促されている国があるだろうかということが私たちに問われています。

絶対良くならないと思う関係があるかもしれません。しかし神様は和解の力を与えてくださるお方です。私たちはそれを協力伝道、国外伝道から学んでいるのではないでしょうか。コロナで切れてしまったと思う関係があるかもしれません。しかし神様はつながり続ける力を下さるお方です。人間の罪や欠けの大きさと、それに勝る、神の和解の力を知らされてゆくのが協力伝道なのではないでしょうか。

今日の個所をご一緒に読みしましょう。聖書に書かれているのは幼児虐殺の悲しい物語です。この虐殺は決して神の導きではありません。人間ヘロデ王の残虐行為です。それが聖書の預言を実現させてしまったのです。

このヘロデは残虐な王として歴史に名を残しています。自分の脅威になる親族を片っ端から殺した王様です。妻、兄、伯父、3人の息子。自分の王の座が失われるかもしれないとなると、誰でも殺した王でした。今日の個所でも、次の王がでるという小さな噂で一つの町の2歳以下の子どもが全員殺されたのです。アルケラオスという人も出てきますが、この人もヘロデと同じように残虐だったと言われています。

彼が虐殺を行ったのは、自分をひたすら守るためです。王としての立場を守るためです。そのために邪魔な人間は誰でも殺しました。自分を脅かすものを憎しみ、自分以外の命を物のように扱い、差別しました。人々にとっては禍であったでしょう。

しかし悪者は本当に彼ヘロデだけでしょうか。私は虐殺にいたる心、憎しみや憎悪、差別にかられたときに人間がどのような行動をとるかをルワンダから学んでいます。あるいはコロナ流行で起きた差別からもそう思います。

1995年のあの虐殺の時、多くの市民が虐殺に参加しました。子どもを殺しました。あの虐殺に参加した人、全員がヘロデだったのです。日本人も同じです。南京大虐殺や、関東大震災の朝鮮人虐殺の時、すべての人がヘロデでした。人間は誰しも、ヘロデの残虐さを心に持っているのです。

実際ヘロデはこの虐殺でイエスを殺すことに失敗をしました。しかしその後、イスラエルの人々はイエスを十字架にかけて殺すことに成功しました。イエスの死は、一人の権力者だけでは起きませんでした。イエスの死、十字架は民衆の「殺せ」という扇動された声によって行われたのです。

大勢のヘロデがそこで声をあげ、イエスは殺されたのです。そして私たちも簡単にその群衆の一人、ヘロデになってしまう弱さ、差別する心を持っているのだと思います。私もいつでも、短い期間でヘロデに変わることができてしまうのです。戦争を始めてしまうのです。だからこそ、いつも主イエスから目を離さないでいたいと思うのです。

主イエス・キリストそれは、虐殺をぎりぎりのところで生き残った人、虐殺生存者・災害生存者でした。多くの悲しみを背負い生きた人でした。そして平和を訴えた人でした。ヘロデ王の支配という暗い社会に、虐殺が頻繁に起こる社会に現れた希望でした。そして暴力ではなく、平和を訴えたお方です。憎しみではなく愛を訴えたお方です。復讐ではなく和解を訴えたお方でした。豊かに満たされることを求めると同時に貧しい人にまずそれが起こるように願ったお方でした。

私たちは何とかこの希望が地上で実現してほしいと願います。虐殺はもう二度と起きてほしくないのです、十字架は一度きりで十分なのです。もう誰も犠牲にならないで欲しいと、平和を願うのです。もう二度と誰にもヘロデになってほしくないと思うのです。そして私たち自身のもヘロデになってはいけないと思うのです。

私たちが直接虐殺を直接起こすことはないかもしれません。でも私たち自身が誰かを傷つけることはあるでしょう。自分を守るために、自分の都合を優先させることがあるでしょう。何かを失うのが怖くて、相手に強く出てしまうこと、傷つけてしまうことがあるでしょう。

しかしその中に生まれてきたのが、イエス・キリストなのです。そしてキリストは神に従順にしたがうヨセフによって、その命が守られました。神の言葉を聞き続けることが、命を守ることにつながるのです。そしてイエス・キリストは生き残ったのち、和解と平和を訴えました。暴力に暴力で返すのをやめなさい、剣を捨てなさいと語ったのです。

私たちは生き残った小さな命が平和の礎となってゆくと信じます。そして十字架で犠牲になった命も平和の礎となってゆくと信じるのです。このように協力伝道は、絶対良くならないと思う関係を、和解させてくれる力がキリストにあると教えてくれます。必ずその和解の日は来る。それがすでにルワンダで始まっている、それを見て、信じたいのです。

私たちの協力伝道はキリストの業を証しするためにあります。協力伝道が私たちの罪の大きさと、その中にあるキリストの和解の力強さを証ししています。ひとりではできないことですが、共にその業を担いたいのです。このコロナも一人では乗り越えることができません。互いに励ましあい乗り越えてゆきましょう。そしてこれからもこの協力伝道に加わり続けましょう。お祈りいたします。