「私たちのバプテスマ」ローマ6章1~11節

 

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 ローマ信徒への手紙6章4節

 

今日はバプテスマ式を行います。バプテスマの意味をすべて理解して受ける人はいないでしょう。皆よくわからないまま受けるのです。そして何十年信仰を重ねてもその意味を、すべてわかるということもないでしょう。私たち一人一人が、人生の中でそれはどんな意味があったのかを問いかけ続けることになります。わからないにも関わらず信仰を告白することができるのは、聖霊の導きです。

バプテスマは人間を完全な者にする、人間を完成させるものではありません。バプテスマを受けてもなお私たち人間は未完成です。私がバプテスマを受ける時、これで自分も少しはましな人間になるかと思いました。しかし水から上がっても、すぐに罪を犯しました。水に入る以前と同じように、人を傷つけ、イエス様に従うことができず、悩み、苦しみました。

しかしそれでもなお、バプテスマは確かに人生の新しいスタート、命の新しいスタートです。3節を見ましょう。私たちはイエス様に結ばれるためにバプテスマを受けたとあります。私たちのバプテスマはイエス様と結ばれるための出来事です。5節にあるようにキリストと一体になることです。つまりあなたはもう一人ではないということです。イエス様と共に生きる者となったのです。バプテスマを受けるとは、今日から私もそして私がイエス様の歩みを共に歩むという表明です。11節に、あなたはイエスに結ばれて、神に対して、神に向けて生きるようになるとあるのはそのようなことです。

よくバプテスマをお葬式と誕生日と結婚式がひとつになったものとたとえることがあります。以前の人生が死に、新しく生まれ、キリストに結び付けられるということを今日の箇所が語っているでしょう。

このバプテスマは、受ける人個人とイエス様の関係、一対一の結びつきの出来事であると同時に、私たち全員とイエス様の出来事でもあります。今日のこのバプテスマは私たちの教会の出来事です。私たちに共に従う仲間、共に生きる仲間が与えられたという大切な私たちの出来事、私たちのバプテスマなのです。

私たちにもバプテスマを受けたあの日から様々なことがそれぞれにあったでしょう。私たちもあの日からスタートを切ったのです。今日新しい命が、主イエスと共に歩む決心をし、バプテスマを受け、キリストと結び付けられます。イエス様とバプテスマを受ける命の2つの命が結び付けられる時です。そして私たちの命、今日加わる命もイエス様に結びけられ、互いに結び付けられるのです。その時を今日喜びましょう。そして私たちに、私たちの中に、新しい決心が起こることを祈りましょう。