カテゴリ:礼拝メッセージ2021



2022/03/20
「もう十字架を背負わせるな」マルコ8章27~38節
ウクライナの戦争、暴力で何かを変えよう、守ろうとすることに反対します。また誰かを犠牲にして自分たちの利益を得ることにも反対します。 イエス・キリストの十字架は権力者の都合によって行われました。そのような犠牲はもう必要ありません。誰も、他者に自分の十字架を負わせてはいけません。自分が背負い、今背負わされている人のを痛みを覚えます。それが十字架なのではないでしょうか。
2022/03/13
「神と野獣」マルコ1章12~15節
マルコによれば、神様が与えた40日間の試練とは、野獣と共に過ごすことでした。敵とも思える人を、倒すのではなく、共に生きることが試練だったのです。それが神の国だったのです。私たちも共に生きるように、それが神の国だと言われているのです。
2022/03/06
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 マルコ10章43~44節...
2022/02/27
しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。マルコ4章38節...
2022/02/20
「信教の自由の礼拝」 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 マルコ福音書2章4節 ...
2022/02/13
人生には良いことも、悪いこともあるものです。大切なのは両方を受け止めることです。靖国神社のように失敗を無視したり、美化してはいけません。そして希望をもって種をまきましょう。実る時も実らない時も、両方あることをしっかりと受け止め、種をまきましょう。
2022/02/06
それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。 マルコによる福音書4章31~32節...
2022/01/30
私たちが礼拝でささげるのは、成果や成功、最上のものだけではありません。神様は礼拝で「打ち砕かれた霊を献げよ」と言われています。私たちはお互いの折れた心に配慮しつつ、献げ、共に祈りあってゆきましょう。
2022/01/23
福音が一人一人の口と心にあるのならば、一人一人が語る言葉は大切です。私たちは誰かから教わるだけではなく、語りいあうことによって、学び合う仲間です。それが私たちバプテスト教会です。福音は語り合うことから始まります。その実践はむずかしいことではありません。互いに聞き合い、学び合うことから始まるのです。
2022/01/16
私たちは選挙で執事を選びます。しかし「できる人」は多くありません。私たちはできないと思うそれぞれを選びます。ともに精一杯をささげる思いを持って投票しましょう。 エレミヤもできないと言っているのに選ばれた人でした。彼はしぶしぶ受けて苦労をしました。そのように涙を流すときこそ、神様は共にいて下さったのです。私たちも共に喜び、共に涙し、精一杯を献げましょう。

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