「みんな神のもとで生きている」マタイによる福音書4章1節~11節

 

 

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。                  マルコ12章27節

 

今日は召天者記念礼拝です。キリスト教では死後に故人と再会できると信じています。しかしある人は死後の再会が怖いと言います。自分が今まで傷つけた人々と会わないといけないからです。もし私たちの地上の関係がそのまま、死後の再会で続くなら、私たちは死んでもなお人間関係に悩むことになるでしょう。私たちは地上の関係ではなく、新しい関係で出会いなおすことができると信じています。

キリスト教には復活という信仰があり、クリスチャンはこの復活を信じています。そして聖書はさらに不思議です。この復活がすでに起きていると書かれる箇所があるのです。私たちがすでに死んでしまっていると思っている人が、すでに復活し、生きていると語る箇所があります。それは神のもとで再び生きているということです。そうだとするならば、亡くなった方たちも、復活し、神のもとで生きていることになるのです。私たちは「みんな生きている」と言えるでしょう。それはキリスト教の死生観のひとつです。

今日の箇所をみてゆきましょう。サドカイ派は現世主義を行く人たちで、復活を信じません。もしあるなら混乱すると考えたのです。イエス様はそれに対し、復活は地上の関係の再開ではない、神に仕える天使のように新しい関係になるとはっきりと言っています。そしてイエス様は旧約聖書のある箇所を示します。

イエス様は27節「神は死んだ者の神ではない」と言います。イエス様がここで言おうとしていることはなんとすでに死んでしまったはずのアブラハムも、イサクも、ヤコブも「生きている」というのです。死んでしまったと思う人も、すでに復活し、神様のもとで生きているということ、天使のようになっているというのです。

イエス様の言っていることはこうです。「アブラハムは地上での命を終え、死んでしまったが、すでに復活し、神様のもとに生きている。このように神様は死んだ者の神ではない。生きている者の神だ。あなたたちは思い違いをしている」。

命は死んでしまってもこのように続くのです。復活し、神様のもとで「生きる」ようになるのです。神様の愛は、生きている私たちにだけ、注がれるのではありません。神様は死んでしまった人たちも復活させ、生かし、愛を注いでくださるお方なのです。神様は死んだ者の神様ではありません。神様は生きる者の神様です。死んでしまった人に、神様のもとで再び命を与えるお方です。このようにして神様は地上の生涯を終えても、私たちの神となり共にいてくれるお方です。

私たちの希望とは何でしょうか。それは生きている間、神様が私たちの神様であり続け、共にいて下さる事です。そして私の大切な人が、そして私自身が、死んでもなお、神様が復活により命を与え、生かし、神様であり続け、共にいて下さることです。このように神様は「死んだ者の神ではなく、生きている者の神」なのです。