【全文】「むずかしくない福音」 申命記30章11節~14節

 

御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。

申命記30章14節

 

 

みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝できること感謝です。私たちはこどもを大切にする教会です。みんなが大切にされる教会です。今日もこどもたちの声を聞きながら礼拝をしましょう。

私たちの礼拝には様々な方が集いますが、他の教派の教会から来ましたという方もたくさんいます。どなたでも歓迎をしますが、私の楽しみのひとつは、その方たちから、この平塚バプテスト教会とご自分が今通っている教会との違いを聞くということです。

実は私たちは他の人から聞いて、自分たちの特徴を知っていくものです。自分たちの当たり前に、他の人がびっくりしているの見たり、聞いたりして、そうかそんな特徴が私たちにはあったのかということを私たちは知ることができるのです。私は初めて来た人から、私たち自身の特徴を教えてもらうのがとても楽しみです。

よく挙げられる特徴のひとつはこどもの声のことです。こどもがのびのびと自由に過ごしていますねと言われます。これはとても意識していることです。二つ目は社会的な活動や発言のことです。この教会は社会や生活のことについての話題が多いですねと言われます。私たちは他の教会より、社会との関り、社会の中にある福音に目を向けているのでしょう。

確かに平塚市内にも多くの教会がありますが、子ども食堂やホームレス支援をする教会は他にほとんどありません。この教会は社会での働き、関わりを重視しています。福音を社会の中で実践することを大切にしていと言えるでしょう。よく他の教派から来た方が驚きます。社会のことは社会の事、教会のことは教会の事と別けて考えているという教会も多いのです。私たちは社会との関わりと実践ということを大切にしています。

この教会の特徴、次によく言われるのが教会学校のことです。教会学校はこどもだけという教会も多いのですが、この教会は大人も教会学校があります。そしてこの大人の教会学校は誰かが教える、誰かが教わるという形式ではなく、聖書から感じたことを自由に語り合う場所となっています。私たちはこれを当たり前のようにしていますが、他の教派ではあまり見られないことです。

多くの教派では正しい教理や解釈があり、それが教えられます。しかし私たち、特にバプテスト教会は「正しい教理」というものを固定していません。ですから教会学校は聖書を学びあうという集まりになります。教える側と教わる側に分かれるのではなく、みんなが発言し、考え、教わりあうという集まりなのです。これもよく驚かれることです。

教会学校に初めて来た人の何気ない質問に、信仰の大先輩が驚かされる時があります。祈祷会もそうです。一生懸命勉強して準備してきた牧師も実は信徒の方のひと言にとても教えられているのです。それが私たちの教会です。教会は教える会、教える集いではありません。教会は教わる会、教わりあう集いです。そんな風に私たちの教会は、他の教派の方が驚くほど、自由に聖書を語り合う教会です。特に信徒説教にはみなさん驚きます。

もちろん長所は短所でもあります。自由に考えることは都合よく自分勝手な考えも生みます。自分の考えと聖書の考えがまぜこぜになってしまう解釈も生みます。だからこそ一人一人が聖書にしっかりと向き合わなければいけません。聖書にはどう書いてあるかに注意して学び合ってゆかなければいけません。

社会のとの関わり、実践ということも注意が必要です。教会と社会との差がわからなくなってしまうときがあります。人間の実践は長続きしない者です。私たち福音に励まされ続けなくては、実践が続いてゆかないのです。元気の源ではないですが、モチベーションの根源になるものが福音、礼拝だということも、しっかりと押さえておきたいのです。

今日の箇所から、私たちは聖書のみ言葉をそれぞれの口から、語り合ってゆこうということ。それぞれの派遣された社会と生活の中で、福音を実践してゆこう。神様はそのように招いているということを考えたいと思います。

 

今日の聖書箇所を読みましょう。聖書の言葉は難しいものです。読んでも読んでもわからない箇所ばかりです。私も勉強をしていますが、わからないことだらけです。しかし一人ではわからないことも、集まって読み、言葉を交わし合うと、なんとなくわかるような気がするということは、私たちの教会でよくあることです。分級も「今日の箇所はよくわかりませんね」で終わってしまうことが多々ありますが「ああ、そう考えればいいのか」と思うこともあるものです。

聖書は簡単だということはありません。でも今日の箇所で聖書が語っているのは、福音はむずかしくないよということです。

12節~13節を見ましょう。聖書のみ言葉は私たちの生活とかけ離れたものではないということが書かれています。そうです。私たちは毎週集まって、天国はどんな場所か?を考えているのではありません。海の彼方、宇宙の彼方に何があるのか?を想像し、議論しているのでもありません。

そうではなく、私たちは毎週集まって、私たちの生活の中に、どんな福音があるかを考えています。こんな生活の中にどんな希望、喜びがあるのかを聖書から聞いているのです。だから社会との関りなしに、生活の事柄抜きに、福音はわからないものなのです。

私たちは福音を遠くに探し求めるのではありません。私たちの生活の別世界や死後に求めるのではありません。今生きる、私たちの生活の中に希望を求めています。私たちは福音を、今生きる社会・生活の中、その関わりの中で探しています。社会の事、生活の事、抜きには福音はわからないのです。

そのようにして福音は近く、身近にあるものです。だから誰かが見てきて、聞いてきて、私に教えてくれるというものではありません。私たちの福音は誰かが見た聞いたという天国や宇宙の話を聞くのでもありません。天国から取って来たものを教えてくれれば、すぐやりますよというものではありません。福音は私たちの一人一人の生活の中にあるのです。一人一人のごく近くにあるものなのです。14節「み言葉はあなたのごく近くに」とある通りです。

14節の続きにはみ言葉は「あなたの口と心にある」とあります。そうです、福音はあなたの口にあるものです。福音は牧師の口だけにあるもの、先生の口だけにあるものではありません。あなたの口にもあるのです。

私たちは牧師や先生の語ることを聞きます。解説書を聞いたり読んだりします。それに励まされたり、教わったりします。でも私たちは一方的に聞く、読むだけではありません。そうです14節「あなたの口と心に」み言葉があるのです。お互いの口と心にみ言葉あるのです。

だとするならば聞くだけではなく、一人一人の口から語られるみ言葉が大事です。先ほど挙げた教会学校はまさにそのような場所でしょう。一人一人がみ言葉を語ります。それから感じたことを語り合います。それはとても大事なことです。み言葉は遠くにあるのではないからです。一人一人の口と心にあるものだからです。

教会学校や祈祷会、礼拝の前後で交わされる言葉を大切にしましょう。生活の中で聖書について想像をめぐらし、こう思ったということをもっと分かち合ってゆきましょう。逆に聖書を読んで、私の生活の中ではこんな風に感じたともっと語り合いましょう。あなたの口で聖書について語ることが大事なのです。それは先ほども話したように、この教会の特徴、バプテストの特徴でもあるでしょう。福音はごく近くにあります。そして私たちは特に、聖書を語り合う教会です。一人一人の口と心にみ言葉があるからです。

もちろんそこには注意も必要です。社会と教会の違いが分からなくなってしまうこと、生活に満足していれば福音がいらないように感じてしまうことがあります。私たちの口からはつい、いろいろな言葉ができてしまいます。私たちは聖書を繰り返し読み、心に刻んでゆくことも大切でしょう。口と心に聖書を入れてゆくということも大切にしましょう。そのことはよく注意したいと思います。

私たちはこの教会の在り方をこれからも大切にしてゆきましょう。私たちは聞くだけではなく、自分も語るのです。私たちの教会は、他の人が見ても、語り合うことを大切にしています。ぜひそのような場所をこれからも持ってゆきましょう。教会学校、礼拝の前後、食事の中で、信徒説教、語り合ってゆきましょう。

私たちは聖書のみ言葉、信仰の実践を難しいと感じています。でも聖書にはそれは難しくないとあります。14節の最後には「行うことができる」とあります。あなたは福音の実践がすぐできるようになるよということです。

福音の実践とは互いの口からでる言葉をよく聞き、その心を良く知ることがスタートです。今日の箇所で「行うことができる」という言葉は3回繰り返されています。私たちが互いに聞き合う時、互いに語り合う時、み言葉はむずかしいものではなくなります。私たちが「行うことができる」ものになるのです。

それが今日、神様が私たちに聖書を通じて伝えていることです。今日の箇所はむずかしいことは言っていません。むずかしくない福音です。神様は、福音は難しくないとおっしゃっています。福音は身近な場所にあるものだよと言います。お互いの口と心にあるものだよと言います。必ずあなたにもできることだよと語ります。私たちは、社会と生活の中で福音を聞くこと、互いに聖書を語りあうことを、福音を実践してゆくこと大切にしてゆきましょう。私たちにも必ずできるはずです。お祈りいたします。