みなさん、こんばんは。今日はようこそキャンドル礼拝にお越し下さいました。この教会の牧師の平野と申します。私たちの教会はこの礼拝をこどもと一緒持っています。こどもたちの声や足音もこの礼拝の一部です。命の音を感じながら一緒に礼拝をしましょう。
今年、私たちの教会は「孤独のグルメ」というドラマでとりあげられて、大きな注目を集めました。私たちの運営するこども食堂がモチーフとなり、輸入雑貨販売の主人公が急にこども食堂のボランティアをすることになったり、両親が海外出張しているこどもが寂しくてこども食堂に食べに来たり、妻に先立たれた夫が手作りの食事を食べにこども食堂に来たりするというドラマでした。このドラマは主人公がいつも孤独に、一人で食事をするのがお決まりなのですが、今回に限り「孤独ではない」設定となりました。初めて出会う3人が一緒に時間を過ごし食事をしたのです。よいドラマだったと思っています。こども食堂を通じて、普段の教会の温かさも伝わったと思っています。
教会とは何かにすがりたいと思っている人だけが集まる場所、深い悩み事がある人だけが集まる場所ではありません。さまざまな人が集まっています。教会の雰囲気は、さまざまな人が集まることによって織りなされています。その雰囲気のひとつは「孤独ではない」という雰囲気です。教会に来れば誰かに会うことができます。誰かと一緒に食事をすることができます。ともに時間を過ごし、食事をすれば、気分が明るくなったり、元気が出てきたりするものです。教会は誰かと共に時間を過ごす場所として、孤独ではない場所として建っています。
何回か教会のそのような雰囲気の中にいると「ああ、神様に守られている」と感じることがあるでしょう。私は友人や仲間に囲まれている。でもそれだけではない。もっと大きな、もっと深いものに包まれていると感じることができるでしょう。みなさんにもぜひ今日はその雰囲気を感じ取って帰って欲しいと思っています。また教会には様々な行事があります。どれもたくさんの人が集まる行事です。きっと私には仲間が共にいるということ、私には神様が共にいるということを感じることができると思います。今日はお読みいただいた物語から、孤独と神様の存在について、一緒に考えてゆきましょう。
***
絵本と聖書を読んでいただきました。絵本の中で、生まれてきた赤ちゃんが神の子イエス・キリストです。私たちの心と魂を救ってくれる存在です。
聖書によればイエス・キリストの父と母は出産が迫っているにも関わらず、旅に出なければいけませんでした。大変な旅です。そして旅先で泊まる場所が無かったとあります。誰も助けてくれなかったのです。そしてさらに旅先で産気づき出産を迎えることになりました。生まれたこどもは飼い葉桶、動物にエサをやるための箱に入れられたとあります。このことから母マリアは家畜小屋で出産をしたのではないかと伝承されています。何と言う出産でしょうか。
絵本では安らかな出産だった様に描かれていますが、現実に家畜小屋で出産する母マリアはどれだけの不安を感じながらの出産だったでしょうか。旅先の出産、家畜小屋での出産、それは不衛生で、十分な支援の無い出産だったでしょう。誰の助けもない夫婦二人だけの驚くほど孤独で困難な出産でした。まずマリアは思ったでしょう。「こんな時、夫はちっとも役に立たない」「夫は何もわかっていない」。そんな声が聞こえてくるようです。
家族がたくさんいる中での出産ならばどれほど心強かったことでしょうか。せめてもう一人、励ましてくれる仲間がいたらどれほど心強かったことでしょうか。しかしマリアたちは孤立無援の出産を体験しました。現実はこのような安らかなものではなく壮絶なものだったでしょう。
私たちはこのように生まれてきたのが神様と等しい存在、イエス・キリストだと信じています。神の子イエス・キリストはこのように地上に生まれてきたのです。生まれてきたのは孤独な場所でした。神の子イエス・キリストは孤独な出産の現場で生まれてきたのです。それが本当のクリスマス物語だったのです。
みなさんはこの物語からどのようなことを感じるでしょうか。一人で苦難を乗り越えるのは大変なものです。仲間の大切さを感じるでしょう。人生で大事なものは共に歩む仲間です。ここでは共に生きる仲間の心強さが語られているでしょう。
そしてもうひとつこの物語は、神様がどこに、どんな場所にいるのかということも教えてくれます。つまりそれは、神様は孤独の中に来て下さるということです。神の子イエス・キリストはにぎやかな場所に生まれたのではありませんでした。イエス・キリストは孤独で、助けの足りない、まさにその場所を選んで生まれてきたお方だったのです。神様はこの出産によって、神様は孤独の中に共にいるお方であることを表したのです。神の子ならばもっと華々しく生まれることもできたでしょう。しかし神の子は孤独な場所に生まれることを選んだのです。それが神様のあり方だったのです。
私たちの周りにはたくさんの孤独があります。出産、子育て、学校、職場、家庭、食事、介護、さまざまな場所に孤独が存在します。そのような孤独のある場所に、神様は来て下さるお方です。神様は孤独にいるその心に生まれ、その心に共にいてくださるお方なのです。そして神様は人と人とを結びつける場所に導いてくださるでしょう。みなさんにもこの神様が共にいるのです。
今日、みなさんはキャンドルをひとつずつ持っています。それは消えそうで不安になる小さな光です。ひとつでは孤独なさみしい光です。でもそこに神様が共にいて下さいます。そして神様は孤独ではない場所に、たくさんの光が集まる場所に導いてくださるでしょう。それが今日です。今日神様はこのキャンドルのような私に共にいて下さり、美しいもので私たちを穏やかにしてくださるのです。神様はきっとこれからも今日のように、美しく、穏やかな気持ちにする場所へと私たちを導いてくださるでしょう。その様にして今、神様は私たちと共にいて下さるのです。
神様は孤独と思える場所に共にいて下さるお方です。どうぞそれを感じて帰ってください。お祈りをいたします。