「地域に合わせて変わる教会」使徒言行録2章1~11節

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。    使徒言行録2章3~4節

 

今月は地域と福音というテーマでお話します。そして今日は特にキリスト教の暦で「ペンテコステ」という2000年前に教会が誕生したことを記念する日です。

私たちの教会は地域に福音を広げたいと願っています。福音を広げるとは、相手にただ聖書の言葉を伝えることや、教会が拡大することではありません。福音を広げるとは「互いに愛し合いなさい」という生き方を広げることです。

しかし愛を表す方法は実に多様です。高齢者、子育て世代、若者、こども、外国語を話す人…何を愛と感じるかは違います。愛が伝わるのは教会の日曜日の礼拝だけでもありません。地域の人たちはきっと、食堂のごはんを味わうとき、カフェで誰かと笑うとき、子どもたちの笑顔があふれる水遊び会、そこにある温もりが、愛として届いているでしょう。教会が人々に愛を伝える方法は無数に存在します。愛は時には言葉で、時には沈黙で、時には食べ物で伝わります。

愛はその形を定めることができません。だからこそ教会はひとつの活動のみで愛を伝えることができません。大事なのは、こちらの思った愛の形を押し付けないこと、地域に合わせて私たちが形を変えてゆくことです。教会はその始まりから、愛を様々な形で伝えてきたということを聖書から見てゆきます。

イエスは食事やたとえ話、十字架など、実に様々な方法で愛を伝えました。しかし弟子たちはイエスが死んだ後、自分たちの愛はどうすれば理解されるのか悩んでいたのでしょう。家に集まって祈っていました。そこに聖霊、愛を表現させる存在が現れます。すると弟子たちが様々な国の言葉でしゃべり出すようになったのです。人々は自分の国の言葉で聞いて、初めてそれが自分に向けられた愛だとわかったのです。

この奇跡は弟子たちの側が話す言葉が変わる、伝える方法が変えられるという奇跡でした。そのようにしてキリスト教の教会は、弟子たちの側が変えられることから始まったのです。この出来事は、神様が「地域に合わせて変わる教会」を通して、愛を広げようとした出来事でした。このチャレンジはいろいろな活動をしている私たちの教会にも重なってくるでしょう。私たちは地域の人が“これが愛だ”と分かるように伝えてゆきたいのです。

神様の愛についても考えます。神様は絶対の神の像を作ってはならないと命令をしました。なぜなら神様の愛の形はひとつではなく、いつも相手に合わせ柔軟に変化するからです。私たちはその愛を受けてどのように地域に愛を伝えるのでしょうか。きっと私たちが愛を伝える方法も様々に開かれてよいはずです。

もちろん、私たちはただ愛を伝えるだけではありません。神様は私たちにもその愛を届けてくださいます。しかもあなたが一番、これこそが愛だと強くはっきりと感じる方法で、神様はあなたに愛を届けてくださるはずです。お祈りします。