神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。 創世記1章27節
今日は礼拝の中で主の晩餐を行います。目的の一つは「神様の創造に感謝する」ことです。今日私たちは創造された命の尊さと、創造への感謝を考えましょう。
2500年前、当時の人々は戦争に敗れ、自分たちの命が踏みにじられるのを目の当たりにしました。そのような中で人々は、神が命についてどのように考えているのか、神様の力を受けて、伝承を文字にしてゆきました。それが創世記です。
27節には神様は人間を創造したとあります。命の創造、これが聖書の神の役割です。世界には多くの戦争の神、破壊の神がいます。しかし聖書の神は愛の神、平和の神、新しい命を創造する神です。神が命を創造しました。人が人の命を作ったのではありません。神様が創った命を、人間が作ったモノと同じ様に考えて、壊したり、奪ったり、売り飛ばしてはいけないのです。
27節には、神様は人間をご自分にかたどって創られたとあります。人間は神の似姿に、そっくりに作られました。そこには人間の命を神様のように大切にして欲しいという神の願いが込められています。戦争は最も人の命を大切にしない行為です。全員の命が神の似姿です。大切なのは王様や権力者の命だけではありません。全員の命が神様に創造されており、大切にされなければいけません。
命は大切であることと同時に平等です。27節には「男と女に創造された」とあります。古代で差別された女性も神様が直接創った尊い存在です。もし神様が男だったら、似姿として創った人間は男だけだったはずです。つまり神様は男だったとは限らないということです。神様はすべての性を創ったお方です。LGBT、性的マイノリティーの人々も神様の創造の作品と言えるでしょう。
神様は工場のように、同じ人間を大量生産したのではありませんでした。神様は一人一人、愛情を込めて異なる人間を創造しました。そこでは神の似姿として創造されたにも関わらず、まったく異なる者が創造されてゆきました。私たちはこんなにも違うのに、しかし全員神様に似ているのです。
29節で神様は人間だけに「祝福」を与えました。祝福とは特別な祈りのことです。神様は人間に向けて他に創造されたものとは違う、特別な祈りを向けたのです。私たち人間はそのように神様の特別な祈りに包まれ、その中で生かされている存在なのです。神様は人間を祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言いました。私はここからこどもたちの顔を連想します。新しい命はそのように神様から祝福を受けている命です。
私たちは神に創造された大切な命をもっています。私たちは違いがありながらも神様の似姿に創造された命です。私たちは全員、神様に喜ばれて生まれてきた命です。私はそれを感謝します。私たちはこの後、主の晩餐を持ちます。今日、神様から頂いた命、互いの命に感謝をして、主の晩餐をご一緒しましょう。お祈りします。