「平和の実現を信じ続ける」マタイによる福音書8章5~13節

そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。 

マタイによる福音書8章13節

 

今日は平和祈念礼拝です。パレスチナとイスラエル、ロシアとウクライナの戦争にはキリスト教が深くかかわっています。キリスト教は一時期、イスラム教が戦争を肯定していると盛んに批判していましたが、キリスト教徒も負けずに一生懸命戦争をしています。私たちは平和と共存を求めながら、聖書を読みましょう。

ある時、僕の病気のことで、百人隊長がイエスを訪ねてきました。宗教を超えて、命を救ってくれと求めにきたのです。イエスはそれをためらわず、すぐに了承しました。しかしこれは非常に驚くべき行動です。当時、ユダヤ教の人々は違う宗教の人の家に行ったり、一緒に食事をすることは律法で汚れた事として禁止されていました。しかしイエスはタブーだと言われていても、命を守るための行動はためらわなかったのです。イエスは国籍、宗教、血縁に関係なく、また軍人であるかどうかにも関わらず、命が大切にされることを願うお方なのです。

11節と12節には、ユダヤ教の始まりを刻んだ族長たちが、外国人と宴会をするという光景が語られています。しかしこの光景には大きな問題があります。ユダヤ人は異教徒の家を尋ねたり、食事をしたりしては決していけないのです。それにも関わらずイエスはここで、この大御所たちがいつか宗教を超えて、みんなで食事をする日が来ると言うのです。イエスは、異なる他者と平和に過ごす時が来る、今まで対立していた者と共に食事をし、平和が広がっていくのだと語ったのです。そしてもし自分たちこそ正しいと信じ、他を排除するなら、共に食卓を囲むことはできないのです。この言葉はユダヤ人だけではなく、クリスチャンにも向けられています。自分たちだけが正しく、自分たちだけが神に選ばれたと思うなら、他者との宴会・平和には入ることができないのです。

この個所から平和について考えます。平和とはまさしく、宗教や国籍を超えて、共に食事にあずかるような出来事です。領土や利権を争い合うのではなく、対話し、分かち合い、共存共栄をしてゆくことが平和です。イエスが百人隊長を訪ねようとした行動と、語られた驚きの風景に、平和のビジョンが表されています。

この聖書の光景が世界で実現されるように祈りましょう。困っている他者のために隔たりを軽やかに超えて行動する世界を求めます。いつか争い合う国々が、天の国の宴会のような交流をできるように願います。私はイエスがそのように私たちに平和を示しているのだと感じます。

13節でイエスは「あなたが信じたとおりになるように」と言います。私たちは平和を信じ続けることが大事です。平和を信じ続ければ、平和が世界に実現するのです。しかし、いややはり戦争で決着をつけるしかないと信じるならば、戦争が起こるのです。私たちは今日もそのように平和を信じ続ける、その信仰を持つクリスチャンでいましょう。お祈りします。