「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。」
マタイによる福音書10章23節
8月は平和について考えています。戦争がはじまると、逃げたい人は逃げる、戦いたい人は戦うという自由ありません。戦争が始まった時「戦争に反対だ」「戦いたくない」と言葉にすることは危険で勇気が必要なことです。私はどんな時でも、「戦いたくない」と言える勇気を持ちたいです。暴力で戦うことが良い事だと言われる場所から逃げる勇気が欲しいのです。それが平和につながるのではないでしょうか。
「逃げる」と聞くと、弱さの象徴のように感じるかもしれません。でも聖書の中には逃げた人がたくさん登場します。アブラハム、モーセ、イエスの父ヨセフ…それぞれ逃げた先に平和がありました。聖書には逃げることで守られた命がいくつも描かれています。一緒に聖書から平和を求めて逃げる事を考えましょう。
マタイ福音書4章24節には、イエスの教えがシリアで広がったとあります。当時イスラエルとローマ帝国は激しい戦争をしていました。愛国心と信仰心が混ざり、彼らは熱狂的にローマと戦いました。その時期にもしマタイによる福音書を書いたグループがシリアにいたとするなら、それは戦争から「逃げた」ということです。マタイのグループはあえて戦わず「逃げる」という選択をしたのです。
22節に「最後まで耐えしのぶものは救われる」と書かれています。マタイのグループは自分の願いを叶えるために暴力を使う、その誘惑に耐え続けました。戦う誘惑をしのび、平和を求めて行動をしました。それが逃げるという行動だったのです。
戦わずに逃げる、その勇気ある選択の原動力は23節のみ言葉だったのではないでしょうか「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」。彼らはこの教えに従って戦わずにシリアへ逃げ、逃げた場所で彼らの平和の福音が広がったのです。戦わなかった姿、それはイエス・キリストの生き方とも共通するでしょう。イエス・キリストは戦わず、十字架に掛けられたお方でした。イエス・キリストは、あなた方は戦わず、また死ぬこともなく、逃げなさいと教えているのです。
今日の個所からどのように平和を考えたらよいでしょうか。もし、私たちの国で戦争が始まってしまったら勇気をもって逃げることを選びましょう。私たちは信じましょう。戦わないその先に、神様の救いがあるのです。イエスの十字架の歩みにも暴力に暴力で抵抗しない生き方が示されています。私たちはそのような平和を貫きましょう。
私たちの1週間の中でどのようにして平和を実現することができるでしょうか?私たちそれぞれの場所にある、暴力に反対しましょう。私たちは暴力に暴力で対抗するのではなく、23節にあるとおり、逃げましょう。そしてそれぞれが逃げた場所で、平和の言葉を語りましょう。私たちは今週もそれぞれの場所で精一杯、他者を愛しましょう。そしてどうしても平和が難しいなら、一度離れてみましょう。そんな生き方が今日の個所から示されているのではないでしょうか?お祈りします。