「世界を平和で満たそう」マタイ12章43~50節

汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 マタイによる福音書12章43~44節

 

8月は礼拝で平和について考えています。先の参議院選挙では新たに憲法を創ると訴える党がいました。その憲法案からは9条が削除されていました。そしてこの党は選挙でとても人気がありました。私たちは戦争に向けて再び時を刻んでいます。私たちは大きな戦争を体験し、もう二度としないと誓いました。武力ではなく平和を信じると宣言したはずでした。しかし日本はまた自ら戦争へと近づこうとしています。日本は再び戦争・破滅に向けて時を刻んでいます。戦争、核兵器の再使用、人類の絶滅に再び近づいています。みなさん自身はそんな世界の平和、日本の平和について今どう思うでしょうか?今日の個所を読みながら、一緒に考えてください。

聖書を読みます。汚れた霊は一度は家から追い出されました。しかしその存在が消えたわけではありませんでした。行く当てのない汚れた霊はしばらくした後「戻ってみよう」と考えました。きっと時間が経てば、再び自分に居心地のいい場所になっているのではないかと思ったのです。戻ってみると案の定、掃除され、整えられ、飾り付けがされ、汚れた霊はもう一度歓迎されました。汚れた霊は自分の他にもたくさんの汚れた霊の仲間を招いて、そこを居場所にしました。

この話をどのように理解したらよいでしょうか?今日私たちが与えられている問いは、一人ひとりは何を心に住まわせるのかというものです。私たちは汚れた考えを、徹底的に追い出しましょう。汚れた考えとはどんな考えですか?想像してみてください。暴力、戦争、核兵器、差別、格差、いじめ、無関心・・・みなさんの心にはどんな汚れた霊がいますか?汚れた霊は私たちの心の中、私たちの社会に静かにやって来ます。少しずつ、場所が整えられ、飾られた場所に忍び込んできます。人気に推されて、新しいものとしてやってきます。

私たちはどうすれば汚れた霊を心に迎え入れずに済むのでしょうか?私たちは汚れた霊が再び家に入ってこないように、そこを別のもので満たさなければいけなかったのです。例えば平和の願い、祈り、誓い、憲法、戦争の証言、様々なもので満たすことができるはずです。そしてキリスト者はそこを愛と平和、神の言葉で満たすことができるはずです。私の心から暴力と差別を徹底的に排除し、平和の主イエスを心に迎え入れたいのです。

そして私はそこにイエスの十字架を置きたいのです。十字架とはイエスが暴力的な力で、殺されたことの印です。けれども同時に十字架は暴力を超えて、復活があった印です。それを胸の中に、私の家に置きたいのです。

みなさんにも問いかけます。私たちの世界がその心から追い出すべきことは何でしょうか?私たちの日常ではどのような場面で汚れた霊を見ることができるでしょうか?私たちは何を心に招くのでしょうか?