「欠けを探す礼拝」マタイ18章10~20節

これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。

マタイによる福音書18章14節

 

私たちは、なぜ礼拝をするのでしょう?ただの習慣でしょうか?それとももっとあなたの人生にとって、深い意味があるのでしょうか?礼拝は神様と人との、人と人との結びつきを強めるためのものです。その結びつきを深めるために礼拝をしています。みなさん一人一人がより、神様とのつながりを感じることができる礼拝にしてゆきたいと願って、いろいろ試しています。私たちの礼拝には、きっと見落としている要素があるはずです。今日は参加型の礼拝という視点でこの個所を読み直してみましょう。その時、この個所はどんな風に聞こえるのでしょうか?

ある時、100匹の羊と一人の羊飼いがいました。しかし1匹が欠けて99匹になってしまいました。一人の羊飼いは99匹を山に置いて、危険にさらして、一匹を探しに出てゆきました。そして1匹を探し出し、見つけました。そこには大きな喜びがありました。今日は、この物語の99匹と1匹の関係に目を向けてみましょう。

バプテストらしい民主主義を大切にするならば、リーダーの勇敢な決断を受け入れたのではなく、100匹の共同体の選びとして読みます。ある時、99匹のうちの誰かが、一匹足りないということに気付きました。彼らは相談をし、その一匹を探しだすために、羊飼いを派遣する決断しました。99匹にはいろいろな立場があったけれど、それぞれに納得して一匹を探し求めることにしました。99匹がそのような決断ができたは「一人でも滅びることは神様の御心ではない」と知っていたからです。それは自分達の中に欠けているものを探す旅の始まりでした。

羊飼いが探したのは、たった1つ。しかし決して小さくない“欠け”でした。どこにあるのか、それが欠けている事にはどんな意味があるのか?その欠けの意味を考えながら、探し求めたのです。森の奥、川のほとり、岩陰…。行き先を変えながら、必死に探し続けました。そして羊飼いはその一つの欠けをようやく見つけ出しました。きっと99匹の仲間は「探してよかった!」仲間たちは声をあげ、胸を熱くしたに違いありません。この99匹の物語を私たちと重ねてみましょう。

私たちの礼拝も99なのかもしれません。100に限りなく近いのでしょう。でも私たちの礼拝で何か置いてきてしまった要素があるのではないでしょうか?私たちが礼拝の中で置き忘れてきてしまったものは何でしょうか?いろいろ試行錯誤します。そんな私たちは今、1匹の羊を探す羊飼いの様に、失ったものを探す旅の途中にいるのです。今日、この物語は私たちにどんな挑戦を投げかけているでしょうか?私たちの礼拝に欠けているものは何でしょうか?

そしてみなさんには家族や仲間、職場や学校という共同体もあるでしょう。みなさんのいる共同体もきっと99匹の共同体です。この1週間、みなさん自身も小さな1を探す旅に出てみませんか?思いがけない喜びと感動が待っているはずです。

黙想の時を持ちます。心に残った言葉を、そっと神様に献げましょう。