「礼拝ー神との絆ー」マタイ18章25~31節

その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

マタイによる福音書18章27節

 

今月は礼拝について考えています。礼拝は神と人とのつながり、人と人とのつながりを考える時間です。私たちはどうしたらもっと深く神様と、他者とつながることができるのでしょうか?人と人との関係はお金が絡むと複雑になります。みなさんは友達にお金を貸したことがありますか?お金は人を助ける力を持っています。しかし同時に人と人との信頼関係を壊す力も持っています。

聖書にもお金で人間関係が壊れる物語があります。そして人間の関係の複雑さ、壊れやすさとまったく正反対である、まっすぐで単純な神様の愛が描かれています。

ある時一人の家来が1万タラントン、現代にすれば6000億円の借り入れを返済できなくなりました。普通の人間は信頼が裏切られたことへの強い報復感情を抱くはずです。しかし物語に出て来る王はあまりにも寛大です。借金を帳消しにしました。王は家来とこれまでの関係に戻ろうとしたのです。

伝統的に教会は「だからあなたもすぐに赦しなさい」と解釈してきました。しかしその教えは被害者の痛みを無視した赦しの押し付けとなってきました。赦しはそんなに簡単ではありません。今日はこれまでとは違う読み方をしましょう。

この物語の中心点は王の驚くほど寛大な行動です。王の行動に注目をします。この王は変わり者です。王は借金を免除し、これまでと変わらない関係を築こうとしました。こんなことは私たちの生きる世界では現実には起こりません。でもこれが神様の姿を映し出しています。これが神様の提案する、神と人との関係です。

神様はあなたがどんなに罪深い人間でも、あなたとの関係を諦めないのです。神様はどんなに欠けのあるあなたとも、関係をより一層強いものにしたいと提案をしています。お金の絡む人間関係は難しいものです。でも神様との関係は違います。神様と人間の関係は驚くほど単純で、驚くほど確かなものです。その関係はどんなことがあっても途切れることがないのです。ここに神様の強い愛が示されています。

今月は礼拝という視点で聖書を読んでいます。礼拝はそのような神との深い結びつき、絆を確かめる時間です。私たちは礼拝で、決して途切れることのない神様のとの強い絆を確かめます。

人間の問題の複雑さをひっくり返して考えてみてください。神の愛はまっすぐで、決して切れません。神様の愛は単純で深いものです。あなたの悩みは深いでしょう。けれどもそれよりも圧倒的な深さで神様はあなたを愛しているのです。

あなたは今どのように人間関係に悩んでいますか?お金の問題で心が重くなっていませんか?そのような毎日の中で、あなたはどこに神様の愛を感じますか?どうすればこの礼拝でそれを感じることができるでしょうか?礼拝で神様との絆をもっと感じるにはどうしたらいいと思いますか?心の中の悩みや葛藤を神様の前に差し出しましょう。そして神様が見捨てないことを思い出しましょう。お祈りします。