「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
マタイによる福音書19章21節
今日は収穫感謝礼拝の日、そして同時にバプテスマ式の日でもあります。この2つの恵みを共に喜び、分かち合いましょう。そしてこの時を「私が」恵まれていることに感謝するのではなく「誰かと」この恵みを感謝し、分かち合う時にしたいと思っています今日は感謝と分かち合いを聖書から読んでゆきましょう。所有と放棄の間の「分かち合う」を軸にこの物語を読んでゆきましょう。
ある金持ちの青年の物語を読みます。彼はたくさんのものを持っていました。お金、家柄、性格、若さ、健康、家族との良好な関係、たくさんの才能と環境に恵まれてきた人です。彼の「そういうことはみな守ってきました」という発言からはあふれる自信も伝わってきます。誰もがこの青年を見て、うらやましいと思ったでしょう。
でも彼自身が思ったのです。「自分にはまだ何か欠けている」。そしてイエスに、それが何なのかを聞いたのです。イエスは応えます「持ち物を売り払って、貧しい人々に施しなさい」「それから私に従いなさい」。彼は黙って立ち去って行きました。
イエスがこの物語で教えていること、みなさんは何だと思うでしょうか?私たちには一切の所有を放棄することはできません。でも私たちは欠けがありながらも少しでもそれに近づく道があります。それが分かち合って生きるという生き方です。私たちはどんな風に分かち合いができるでしょうか?分かち合うことができるのはお金だけではありません。たとえば煮物のおすそ分け、病院の待合室の会話、孫の写真を見せ合って笑うこと、一緒に祈ること、不安の中にいる人の話を聞くのも分かち合うことでしょう。どれも神様が喜ばれる分かち合いです。この後のバプテスマの喜びも分かち合います。教会の柿をみんなで食べるのも分かち合いです。私たちは時間、喜びや悲しみ、食べ物、才能・・・様々なものを分かち合うことができます。
この後、弟子たちは思わず聞きました。分かち合う先に何が待っているのか?と。イエスは新しい世界が待っていると言います。分かち合うからこそ大切なものや、家族とのよりよい関係が待っているのです。別の言葉で言えば、私たちは分かち合う時に、家族や血縁を超えた結びつき、仲間が与えられてゆくのです。
イエスは、分かち合う時に新しい世界が開かれてゆくと語っています。感謝し、分かち合う時、私たちが大切にしているものは、もっと輝き出すはずです。私たちがもっと分かち合う時、きっと私たちにはもっとたくさんの仲間が与えられてゆくはずです。私たちはみんなで永遠の命、神様の永遠の愛を分かち合ってゆきましょう。
この個所がみなさんに問うていることは何でしょうか?あなたの大切なものは何ですか?それにどうやって感謝しますか?どうやって分かち合ってゆくでしょうか?あなたの欠けは何ですか?その欠けにこそ神の愛が注がれるのです。だから私たちは感謝して、分かち合って、ここから歩んでいきましょう。